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ジョセフ・フランクリン (アメリカ)
【1950~2013】



ジョン・ポール・フランクリンまたは、旧姓ジェームズ・クレイトン・ヴォーン・ジュニアは、1950年4月13日、アメリカで生まれた。


フランクリンは成長すると、法的に名前をかえたのだが、名前の「ジョセフ」はドイツ第三帝国時代、ヒトラーの為に働いた宣伝大臣ヨゼフ・ゲッペルスの「ヨゼフ」から取った。

姓の「フランクリン」はアメリカの政治家にして物理学者で気象学者のベンジャミン・フランクリンの姓から取った。

ただし「ポール」の由来は不明であった。


フランクリンは常習的な犯罪者で、主に武装強盗で生計を立てていた。

それが上手くいかなかった場合は、血液バンクに血を売ってお金を得るというギリギリの生活を送っていた。


フランクリンは人種差別主義者で、アメリカの有名な人種差別団体『KKK (クー・クラックス・クラン) 』や、極右団体ネオナチの思想に傾倒した。

その為、白人がアフリカ系の人間と交際したり、結婚したりすることに対し、強烈な怒りを抱いていた。

もちろんユダヤ人も嫌いであった。

そんな人種差別のフランクリンは、これらの人間をターゲットに狙い、殺して回るようになる。


1977年、テネシー州に移動したフランクリンは、ベス・シャロムというユダヤ人を見つけて殺害する。


同年に今度はミズーリ州に移動し、ジェラルド・ゴードンというユダヤ人を殺害する。


1978年、白人女性とデートしていたアフリカ系のウィリアム・テイタムを射殺。


1979年、メルセデス・リン・マスターズ (15歳) という白人少女が、アフリカ系のハロルド・マクバー (27歳) と交際していると聞きつけ、2人共々殺害した。


1980年にはアーサー・スマザース (22歳) と、キャスリーン・ミクラ (16歳) のカップルを殺害。


同年6月、フランクリンはウェスト・ヴァージニア州に行き、ジェイコブ・ベアードというユダヤ人ヒッチハイカーをライフルで射殺。


同じ月にフランクリンはシンシナティに移動し、ダンテ・ブラウンとダレル・レーンという2人の10代のアフリカ系の少年を射殺した。


更にフランクリンはアフリカ系のヒッチハイカーも殺害する。


1984年、ヴィッキー・ドリアン (26歳) と、ナンシー・サントメロ (19歳) カップルを射殺。

ドリアンは胸に2発、ナンシーは頭に3発それぞれ撃たれていた。


フランクリンはこのように徹底的にユダヤ人やアフリカ系の人間を殺害し、その数は15人にも及んだ。


1980年9月25日、ついにフランクリンは逮捕されるが、容疑は殺人ではなく、11もの州による5件の発砲、16件の銀行強盗、2件の爆破事件によるものだった。

取り調べを受けていたフランクリンが、聞きもしないのに自慢気に殺人を自白したことで、殺人事件が発覚したのだった。


フランクリンの犯罪はいくつもの州にまたがる為、各州で個別で裁かれたので時間がかかり、1997年2月27日、ミズーリ州で死刑がやっと宣告された。


2013年11月20日、ミズーリ州の刑務所において、薬殺による死刑が執行された。

享年63歳であった。



∽ 総評 ∽

徹底的に黒人やユダヤ人を嫌い、殺害して回ったフランクリン。

フランクリンのようにナチ思想や人種差別に被れるシリアルキラーは多く、それほど珍しいことではない。

ただ、フランクリンほど徹底的に殺し回るのはなかなか珍しい。


フランクリンがなぜそこまで前述した思想に傾倒した理由はわからないが、思春期などの多感な時期に、何らかの影響を受けたものだと思われる。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 15人以上

《犯行期間:1977年~1980年》