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アンソニー・ハーディ (イギリス)
【1951~ 】



アンソニー・ジョン・ハーディは、1951年5月31日、イギリス・トレントで生まれた。


ハーディの父親は炭鉱夫で、そんなロウアー・ミドル階級 (中下層) の生活を恥じていた。


その為、ハーディは一生懸命学業に励み、ロンドンのインペリアル・カレッジに進学する。

そこで、ハーディは工学で学位を獲得する。


1970年代半ばには、大学在学時に知り合った女性と結婚もし、オーストラリアに移住する。

2人の子供をもうけ、幸せな生活を送るかに見えたが、長続きしなかった。


1980年頃から、ハーディが精神異常の症状が現れるようになる。


1982年にはその症状が悪化し、妻を鈍器で殴り、バスルームまで引きずり溺死させようとする事件が起こる。

妻は夫を告訴することはなかった為、法廷で裁かれることはなかったが、ハーディには
「精神科に通い、カウンセリングを受けるように」
という指示を受ける。


だが、1986年、離婚が成立し、ハーディは妻子とは別々に故郷のイギリスに帰国する。


帰国したハーディは、仕事も無いばかりか住む家も無かったが、精神病院には通い、治療薬を処方してもらう生活を送っていた。

だが、ハーディはその治療薬に依存するようになり、しかも、アルコール中毒にもなった。

そして、暇な時には窃盗したり、売春婦をレイプしたりしていた。


1998年、ハーディは売春婦の強姦容疑で逮捕されるが、証拠不十分ですぐに釈放される。

ここでもまた精神病院でカウンセリングを受けるよう指示されている。


2000年、ロンドンのカムデンにある公共住宅に住むようになり、サリー・ホワイトという彼女も出来た。


しかし、ハーディの奇行は相変わらずで、近所の家の玄関先で暴れたり、ドアを破壊したり、郵便受けに塩酸を流し込んだりした。


近所の苦情で警官が訪れ、ハーディの家のドアを破って中に入ると、ベッドでサリーが全裸で死んでいた。

サリーの頭部にはかなり強く殴られた痕があったのだが、検死の結果
「心臓発作による自然死」
と判断した為、ハーディは逮捕されることはなかった。

逮捕はされなかったが、ハーディは当局の監視下に置かれることになった。


2002年12月、ハーディはブリジット・マックレナン (34歳) と、エリザベス・ヴァラッド (29歳) 両女性を相次いで襲い、強姦して殺害した。


警察は監視下に置いているハーディに目をつけ、ハーディの家を家宅捜索し、犠牲者たちの血痕を発見する。

ハーディが2人を殺害し、死体を放置したことが判明し、その為、サリー殺害もハーディの犯行だと断定した。


2003年1月2日、ハーディは逮捕され、同年11月25日、ハーディは3件の殺人により終身刑が言い渡された。



∽ 総評 ∽

ハーディの精神が歪んでいった理由がいまいちわからない。

親からの虐待もなく、貧乏な家庭から脱却する為に勉強もし、結果も出ていた。

詳しい事はわからないが、多分、オーストラリアへの移住が、ハーディをおかしくさせた可能性が高い。

馴れない土地での生活は、徐々に精神を追い込んでいき、次第に変調をきたしていく。

他のシリアルキラーにもそういった人物は少ないが存在する。

ただ、オーストラリアに移住したのは、自分自身の判断なので、自己責任の何物でもないが。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 3人

《犯行期間:2002年~同年12月》