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チャールズ・ユクル (アメリカ)
【1935~1982】



チャールズ・ウィリアム・ユクルは、1935年、アメリカ・メリーランド州で生まれた。


父親はフレンチホルンの奏者、母親はピアニストという音楽一家で、どちらも有名なオーケストラに所属するプロの演奏者であった。


そんな家庭に生まれたユクルは、4歳の頃から母親にピアノを教えられたのだが、教えは非常に厳しく、それが原因で挙動不審とドモリの症状が現れるほどであった。


ユクル小学生の時、そんな両親は離婚。

ユクルは父親に引き取られたが、そんな父親は離婚の影響からか、毎日ユクルに暴力を振るった。


それらの影響で、ユクルの性格は歪んでしまい、他人と口の利けない暗い性格に成長し、しかも、重度の女性恐怖症となっていた。


その後、ユクルは22歳からニューヨークのナイトクラブでピアノを弾くようになる。


3年後、マンションの管理人も始めたユクルは、エセルという年下の女性に迫られ、童貞を喪失するのだが、女性恐怖症のユクルにはその行為は苦痛でしかなかった。

しかし、責任をとってエセルと結婚する。


だが、この結婚が、ギリギリの所で保っていたユクルの人生を奈落の底に突き落とすことになる。


結婚後、一切、妻としなかったユクルに対し、妻は何度も迫った。

ユクルはそれが嫌で自殺未遂を起こす程であった。

ユクルはエセルに

「女が怖くて出来ないんだ」

と言うが、エセルは
「時間をかけて治療すれば大丈夫」
とユクルを励ました。

しかし、これがかえってユクルに強烈なストレスを与える結果になる。


1966年、ピアノの個人レッスンの仕事も始めたユクルは、ある日、レッスンにやってきた生徒のスーザン (25歳) をいきなり殴り倒すと、ネクタイで絞殺する。

死体を裸にすると、自身も全裸になり、死体の全身をくまなく舐め回した。


次に死体の体全身を強く平手打ちし、それは痕がつくほどであった。

しかし、この行為にユクルは異常に興奮し、勃起した。

ユクルは死体の肛門を犯し、更にカミソリで乳房、顔、女性器、太腿の順に切り刻んでいった。


ユクルは自宅に帰ると妻に

「レッスン部屋に死体があった」

と報告する。

驚いた妻がすぐさま警察に通報。

ユクルが警察に尋問されると、

「自分がやった」

とあっさり認めた。

しかし、肝心の動機については

「よくわからない。とにかくカッとなってしまった」

と発言するだけであった。


ユクルには裁判で15年の禁固刑が言い渡されたが、刑務所では模範囚であった為、1971年、わずか5年足らずで釈放された。


1974年、ニューヨーク州グリニッチビレッジのアパート屋上で、カレン (33歳) という女性の全裸絞殺死体が発見された。

死体は頭と顔、上半身、乳房を何度も殴られており、女性器と太腿がカミソリで切り裂かれていた。


カレンもピアノの個人レッスンを受けており、教えていたのがユクルであった。

ユクルは素直に逮捕され、全てを認めた。

動機は

「なぜかカッとなった」

と最初の殺人と同様の理由を述べた。


1976年6月、裁判でユクルには終身刑が言い渡された。


1982年8月22日、ユクルは独房で切り裂いたシーツを使って首吊り自殺した。

詳しい誕生日がわからないが、46歳か7歳であった。



∽ 総評 ∽

男性のシリアルキラーの場合、殺人と強姦はほぼワンセットである。

それは殺人の興奮を強姦で満たす場合や、元々強姦したくて襲う場合等、理由は様々だがほとんどが強姦を行う。

だが、ユクルの場合は強姦しようと殺人を犯してはいない。

これは非常に珍しい。


ユクルは女性恐怖症となってしまったが、これは母親の影響が間違いない。

幼い頃に母親に厳しく躾されたりすると、ユクルのように女性に対して歪んだコンプレックスを抱く事が多い。

ただ、ユクルは妻とそういう事ができないのは、自分が女性恐怖症だからだと告白しているが、殺人を行った時には興奮し、射精に至っている。

ユクルは純粋に殺人に一番興奮を覚える人格だったのであろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 2人
《犯行期間:1966年、1974年》