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ゲザ・デ・カプラニー (アメリカ)
※出身はハンガリー
【1926~ 】



1926年にハンガリーで生まれたカプラニーは、後にアメリカに移住した。


アメリカで医学を学んだカプラニーは成績優秀で、医学博士になった。


1962年、カリフォルニア州サンホセの病院に勤務することになった。

また、カプラニーはハンサムで医者ということもあり、女性にもて激しく女遊びしていた。


そんな女遊びしていたカプラニーの前に、11歳年下の美人モデル、ハイナが現れる。

美貌とスタイル抜群のハイナにカプラニーは夢中になり、必死に口説き、結婚までこぎ着ける。


しかし、カプラニーはハイナを前にすると、勃起不全に陥ってしまう。

ハイナは性格も優しい女性で、
「こんなことはよくあることだし、必ずまたできるようになるわ」
と言って、カプラニーを健気に励ました。

だが、そんな励ましをかえって怪しく思い

「自分が仕事をしている間、性欲をもて余した妻が、同じアパートに住む住人達と肉欲に溺れているにちがいない」

と勝手に思い込む。

勤務中も手につかず、働いている間にも妻は別の男と性行為に及んでいると、嫉妬に狂っていく。


1963年8月、カプラニーの住むアパートの
住人が、カプラニーの部屋から女性の悲鳴が聞こえ、警察に通報する。

警官がカプラニーの部屋のドアをノックすると、血塗れで両手に手術用手袋、パンツ1枚のカプラニーが笑顔で現れた。

室内に入ると、ハイナは全裸にされ、身体はズタズタに切り裂かれていた。


カプラニーが言うには、ハイナを縛りつけ、メスで全身を切り刻みながら、硫酸や硝酸を浴びせた。

後にハイナを司法解剖すると、薬品により全身60%も重度の火傷を負っていた。

しかも、特に性器はほぼ完全に焼き潰されていた。

その火傷のすさまじさは、救急隊員がハイナの身体に触れたことで、火傷を負ったほどであった。


実はこの時点ではまだハイナは生きており、その後、回復が不能な中、地獄の33日間、苦しみ続けた挙げ句、死亡した。


逮捕されたカプラニーは、裁判で心神喪失による無罪を主張し、自身が多重人格障害に苦しんでおり、事件を起こしたのは別の人格だと主張した。


しかし、裁判で妻の写真が提示されると、突然、カプラニーは取り乱し、

「私は妻を愛していた!私は有罪だ!」

と言って泣き崩れた。


裁判の結果、カプラニーは第一級殺人により有罪判決を受け、終身刑が言い渡された。


1975年、カプラニーは13年弱の服役で、なぜか仮釈放となった。

その後、カプラニーは台湾に行く事を許可され、現地で所在は不明となった。

謎の組織に連れ去られたという噂が立った。


しかし、1980年、カプラニーはドイツ・ミュンヘンの病院に勤務していることがわかり、過去の犯罪歴が病院側にばれてしまい、カプラニーは解雇されてしまう。


その後、20年以上、カプラニーの所在はわからなかったが、2002年、カプラニーはすでに75歳になっていたが、ドイツに在住しており、再婚もしていた。

ちなみにこの時、カプラニーはすでにドイツに帰化していた為、仮釈放違反のよるアメリカへの強制帰国は不可能となっていた。


最後にカプラニーがハイナを殺害後、事件現場で警官たちに対して言った言葉で終わりたいと思います。

「ハンナは不貞な女だった。だから彼女の美しさを壊してやりたかったんだ」



∽ 総評 ∽

自身の不能により、妻が浮気していると勝手に思い、嫉妬の上に惨殺したカプラニー。


犯罪を評する人物の多くが、このカプラニーの事件は、カリフォルニア州の犯罪史上、最も恐ろしい単独殺人であると考えている。

その理由は大概のシリアルキラーは、薬品を死体を処分する為に使用するのだが、カプラニーの場合、薬品を殺人の道具として使用した。

その威力は救急隊員が火傷するほど凄まじいものであった。

この事は確実な殺人としては唯一であると記録されている (「ミルウォーキーの食人鬼」ことジェフリー・ダーマーも、頭蓋骨に穴を開け、直接塩酸を流し込んではいるが、ダーマーは殺人ではなく、従順なゾンビを作ろうとして使用している) 。

殺害したのはわずか1人だが、そのやり方はかなり異常であろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★★★☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1963年8月》