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チャールズ・カレン (アメリカ)
【1960~ 】



チャールズ・エドモンド・カレンは、1960年2月22日、アメリカ・ニュージャージー州ウェスト・オレンジで生まれた。

父親はバスの運転手で、カレンが8人兄弟の末っ子ということもあり、カレンが生まれた時にはすでに58歳であった。


その父親はカレンが生まれて7ヶ月後に死んでしまう。


しかも、他の2人の兄弟たちも成人くらいに死去しており、幼いカレンはこれらの死に相当なショックを受けた。


カレン9歳の時、薬品箱に入っていた化学薬品を飲み、自殺を試みている。

この後、カレンは実に20回に及ぶ自殺未遂を行っている。


1977年12月6日、カレンの姉が運転する車が事故を起こし、母親が死亡してしまう。

この母親の死にショックを受けたカレンは、高校を中退している。


1978年4月、カレンは海軍に入隊した。

海軍ではカレンは潜水艦の乗組員となる。


水兵としてのカレンは優秀そのもので、伍長にまで昇進した。

しかし、この水兵時代からカレンの精神が不安定になってきており、カレンは船内の医療キャビネットから、外科用ガウンとマスク、手袋を盗んだ。


1984年3月30日、カレンは海軍を除隊したが、海軍時代に7回もの自殺未遂による為、医学的による名誉除籍であった。


1988年6月11日、カレンによる初めての殺人が起こる (あくまでも本人が言ってることであり、もっと前にやっている可能性も高い) 。

カレンはセント・バルナバ医療センターで働いている時、判事のジョン・イェンゴが入院していたのだが、カレンはイェンゴに致死量の薬物を注射し、殺害する。


そして、この殺人をきっかけに、エイズ患者を含む数人の患者を殺害した (正式な人数は本人も詳しく覚えていなかった) 。


不審死が相次いだ為、病院側が疑問を抱き、調査を始めた。

これを危惧したカレンは1992年1月、セント・バルナバを辞めている。


同年2月、カレンはニュージャージー州のフィリップスバーグにあるウォーレン病院に勤務する。


カレンは早速殺人を始め、3人の初老の女性に、心臓治療薬ジゴキシンを過剰投与し、殺害する。

ある女性患者は
「自分の眠っている間に、こそこそする男の看護師が注射しに来る」
と言ったが、病院側も患者の家族すらも相手にしなかった。

結果、その女性患者は死亡してしまう。


カレンは結婚していたのだが、翌年の1993年1月、妻アドリーエンが離婚を要求し、離婚用紙に書いた。

離婚の原因はカレンによる暴力だと言われていたが、実際は金銭問題であった。

その証拠に、家庭内暴力が原因とされた離婚調停だった為、一時、カレンには妻への接近禁止命令が出たのだが、後にその命令は取り下げられている。


その後、離婚したカレンは看護師を辞めたいと周囲に漏らすようになる。


しかし、仕事を辞めたいが裁判からの命令で、養育費を支払い続けなければならず、結局、カレンはその後も働かなければならず、結果、この事が死人を多く出すことになる。


1993年3月、カレンはとある女性を好きになり、その女性につきまとい始める。

その女性はついに訴え、カレンは逮捕され1年間の執行猶予付きで釈放される。


逮捕された後、カレンは再び自殺未遂を起こし、カレンは仕事を休み、精神病院でうつ病と診断され、治療を受けている。


そして、1993年の終わりまでに、2回もの自殺未遂を起こしている。


同年12月、カレンはウォーレン病院を辞め、ニュージャージー州フレミントンのハンタードン医療センターで働き始める。

ここでカレンは3年間、集中治療室と心臓病患者看護チームで働く。


このハンタードン医療に働き始めた最初の2年間は、誰も殺す事はなかったが、1996年9月までに5人の患者を殺害した。

なぜ、当初の2年間は誰も殺さず、1996年に入ってから殺人を始めたのかはわからない。


ハンタードン医療センターを辞職し、その後、ニュージャージー州モリスタウンのモリスタウン記念病院で働くが、1997年8月にクビになっている。

この頃のカレンの異常性は顕著で、真夜中に猫を追って叫んだり、独り言を言いながら通行人を睨んだりしていた。


1998年2月、ペンシルバニア州アレンタウンのリバティ看護センターで働き始める。


だが、同年10月、カレンは注射器を持って患者の部屋に入る所を目撃され、リバティ看護センターもクビになる。

この時、患者は注射されず死にはしなかったが、腕を折られていた。


同年11月から翌年1999年3月まで、カレンはペンシルバニア州イーストンにあるイーストン病院で働き始める。


その間の1998年12月30日、カレンはジゴキシンで患者を殺害。

検死官は血液検査で致死量のジゴキシンを検出するが、殺人の意図があったかわからなかったので、カレンは告発されなかった。

しかし、カレンはイーストン病院をクビになる。


1999年3月、カレンはペンシルバニア州アレンタウンにあるリーハイ・バレー病院の火傷治療チームで働き始める。

このリーハイ・バレー病院で、カレンは患者1人を殺害し、もう1人も殺害しようとしたがこちらは未遂になっている。


1999年4月、カレンはリーハイ・バレー病院を退職し、ペンシルバニア州ベツレヘムのセント・ルーク病院で、心臓チームの一員として働き始める。

このセント・ルーク病院では3年間で、5人の患者を殺害。

2人は未遂に終わってる。


しかし、2002年6月、カレンは薬物を飲んだ事が発覚し、またもやクビになってしまう。


同年9月、カレンは今度はニュージャージー州サマヴィルのサマセット医療センターで働き始める。

この職場ではERでの勤務となるが、カレンはここでは8人の患者を殺害し、1人は未遂に終わった。


2003年6月18日、カレンは患者のフィリップ・グレガーを殺害しようとするが、グレガーはなかなか死なず、退院してから6ヶ月後に自然死した。


同年7月、少なくとも4人が不審死した為、誰かが過度の薬を投与している疑いがあるとして、ニュージャージー薬科機構の医療部長がサマセット医療センターに忠告するが、当局は10月まで報告を延期していた。

この10月までにカレンは5人の患者を殺し、もう1人も殺害しようとして未遂に終わった。


同年10月、カレンが働き始めてからの相次ぐ患者の死亡との因果関係を探る調査が始まり、カレンはすぐさま辞表を提出するが、2003年10月31日、サマセット医療センターはカレンを解雇した。


同年12月12日、カレンはついに逮捕される。

罪状は殺人1件及び殺人未遂1件の嫌疑であった。


2003年12月14日、カレンは1件の殺人未遂を認めたが、後に16年の勤務の中で少なくとも40人は殺害したと自供する。

しかし、裏付けがとれたのは29人だった。


カレンは呼吸困難に陥り「コード・ブルー」と表示された患者に対し、コードに接続されてる事から救ってあげたのだと主張した。

苦しみながら命を引き伸ばす事に耐えられなかったとも述べた。


2005年8月、司法取引によりカレンは死刑を免れたが、裁判の出廷を拒み続けた為、正式な判決は下されないままだった。


そんな時、カレンのもとに1通の手紙が届く。

送り主はカレンの元恋人で、彼女はカレンの子供 (キャサリン) を生んでいた。

元恋人の子供 (名前はアーニーで、カレンの子供ではない) が、腎臓が悪化し、人工透析を受けていたのだが、更に悪化してしまい、死を待っていた。

そんな時、アーニーの特殊な血液型とカレンが一緒なことをキャサリンから聞いており、元恋人は藁和もすがる思いで、カレンに手紙を書いたのだった。


カレンは刑務所を訪れる牧師に頼み、自分の腎臓が適合するか検査することになった。

結果、適合することになり、移植手術可能となったのだが、裁判所からの許可が下りなかった。

その理由は
「判決がまだ出ていない」
からであった。


カレンは決断し、今まで拒否し続けた裁判に臨むことになる。

法廷内はカレンが殺害した遺族の罵声が飛び交った。


2006年3月、カレンには29人の殺人と6人の殺人未遂で18回の終身刑が言い渡された。

それと同時に、移植手術の許可もおりた。


そして、同年8月、ニュージャージー州セント・フランシス病院で、厳重な警備が敷かれる中、カレンの腎臓摘出が始った。

混乱をさける為、移植手術は極秘に進められ、摘出された腎臓はニューヨーク州ロングアイランド病院に空輸された。


現在、カレンはニュージャージーのトレントンにあるニュージャージー州刑務所に服役している。



∽ 総評 ∽


カレンのように医療関係者、特に看護師による殺人は比較的多い。

以前も何度も掲載しているが、患者はもちろん医者や看護師、病院側に全てを委ねるしかない。

そんな患者の生死を自分が握ってると感じ、自身が神にでもなったと錯覚するのであろう。


私も何度か入院しているし、手術もしたことがあるが、患者は全てを病院に任せるしかない。

薬や治療方法を言われても、医学の知識なんかもちろんないので、それが良いか悪いかではなく、もはや「託す」しかない。

そんな中でこのカレンのような凶行をされてしまうと、患者側はたまったものではない。


こんな問題だらけのカレンが、常に仕事にありつけたのは、アメリカも日本同様、看護師不足という社会問題が背景にあるからだ。

雇う側もその為、あまりその人物の過去の経歴を調べたりせず、雇ってしまう。

もし、この問題がなければカレンのような人物が看護師として働き続けることはなかっただろう。

そうなれば被害者も少なくて済んだと思うと、悔やまれてならない。


カレンは自分の子供を救う為、裁判に臨み、手術の許可が下りるように行動した。

良心の呵責だったのだろうか、最後に人間らしい行動を見せた。

だからと言って、殺害された遺族達からすれば、許される事ではないが。



【総評】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 最低でも40人以上

《犯行期間:1988年6月11日~2003年10月》