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ドナルド・ハーヴェイ (アメリカ)
【1952 ~ 2017】



1952年4月15日、アメリカ・オハイオ州バトラーでハーヴェイは生まれた。


ハーヴェイの両親はタバコ農場を営んでおり、何の問題もない普通の家庭であった。

ただ、両親共に熱心なキリスト教徒だった。


そんな両親の影響により、ハーヴェイも一緒に教会に通った。


ハーヴェイは成長すると、格好良く、真面目で人当たりが良かった為、好青年として評判が良かった。

しかし、実はハーヴェイはホモであった。


そして、ハーヴェイは1970年から殺人を始めたと言われる。


1978年、看護師となったハーヴェイは、オハイオ州シンシナティの総合病院に勤務することになる。

ハーヴェイの仕事は、死体置場係であった。

勤務先でもハーヴェイは温厚な性格で、誰にでも優しいと評判であった。


しかし、ハーヴェイはこの時にはすでに毒物による殺人を行っていた。


1983年、自身の住むアパートの上階の住人で、日頃から親しくしていたヘレン・メッツガーという老婦人に、パイを焼いて食べさせたのだが、このパイに砒素を入れていた。

メッツガー夫人は死亡するが、これは事件になることはなかった。


また、ハーヴェイはアパートに住む知り合いの若者の父親が訪ねて来たのだが、ハーヴェイは砒素を入れた食事を奢り、死亡させた。


1985年、ハーヴェイは死体置場の死体を盗み、その罪で病院を解雇されてしまう。

ハーヴェイは別の病院に移り、そこで看護助手となった。

この病院でも評判は非常に良く、同僚達全員から好かれていた。


だが、この病院で次々と死者が出始める。


ハーヴェイは夜勤の際、同僚が少ない時間帯に、夜な夜な砒素やシアン化物を始めとし、様々な毒物を多様し、殺害していった。

病院から盗んだ肝炎ウィルスを使用したこともあった。


ハーヴェイは寝ている患者の静脈に空気を注射し、心臓発作を引き起こさせ、顔にビニール袋を被せて窒息死させた。


謎の死亡者が出た翌日、ハーヴェイは薄笑いを浮かべながら、

「また俺が殺ったよ」

と言っていた。

同僚は皆、ブラック・ジョークだと思い、笑っていたという。


1987年、交通事故で運び込まれた男性が、突然死したのだが、体内からシアン化物が検出された。

この事で普段から「自分が殺した」と発言していたハーヴェイに疑惑の目が向けられ、ついにハーヴェイは逮捕された。


逮捕されたハーヴェイは、死刑になることを恐れるあまり、司法取引に応じ、これまで58人を殺害したことを認めた (しかし、一般的には87人は殺害したとみられている) 。


1987年8月、オハイオ州で、1987年11月にはケンタッキー州でそれぞれ終身刑が言い渡され、現在も服役中である。


2017年3月28日、ハーヴェイは他の囚人に酷く殴られ、2日後の30日に死亡した。

享年64歳。


最後に1991年にインタビューで殺害動機を聞かれた際のハーヴェイの発言を掲載したいと思います。

「私は他人の生死を支配できた。私にはそれだけの力があった。最初の15人の時に捕まらなかったのは、その力を行使する権利があるからだと考えた。私が裁判官であり陪審員だった。つまり、私は神だったのだ」



∽ 総評 ∽

「死の天使」を自称し、1970年から87年の17年間に最低でも50人以上は殺害したとされるハーヴェイ。

ハーヴェイがホモになった理由はよくわからないが、もともと生まれもったものかもしれない。

また、ハーヴェイは死体を持ち出していることから、ネクロフィリア (屍体愛好) だった可能性も高い。

このハーヴェイのように患者を殺害する医療従事者は多い。

ハーヴェイの発言にもあるように、人間の生死を握ることにより、自分は特別な存在、神にでもなったんだと錯覚するのであろう。

また、ハーヴェイは以前掲載したグラアム・ヤングのように、毒薬に魅入られ、克明に日記もつけていた。

また、これも以前掲載したシャルル・ソブラジに憧れ、その伝記を読んでいた。

ただ、ハーヴェイはよくいる殺人看護師というよりも、グラアム・ヤングと同じ毒殺魔の部類に入るだろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 58人
(一説では87人)
《犯行期間:1970年~1987年》