ジェフリー・ラングレン (アメリカ)
【1950~2006】
ジェフリー・ドン・ラングレンは、1950年5月3日、アメリカ・ミズーリ州インディペンデンスで生まれた。
ラングレンは子供の頃から『聖書』が好きで、信仰心が人一倍強く、成長するにつれ、熱心なモルモン教徒になっていた。
1970年、ラングレン20歳の時に、同じモルモン教徒の女性と結婚するが、直後に海軍に徴兵されてしまう (当時のアメリカは、まだ徴兵制度があった) 。
その後、ラングレンは4人の子供が出来た。
しかし、ラングレンは30代の頃、軍隊を退役し、職を転々としていたが、モルモン教の経典の研究には励んだ。
その研究は余りに熱心だった為、しばらくするとラングレンは、「十字架に磔刑にされたイエス・キリストの幻影」が見えるようになる。
しかも、その幻影は常にラングレンの脳裏に浮かぶようになった。
1984年、神から「オハイオに行け」と啓示を受けたラングレンは、家族を連れオハイオ州の農村に引っ越す。
そして、この地でモルモン教会を拠点にして伝導活動を行い、信者を集めていった。
しかし、1986年、モルモン教会は自らを「偉大な預言者」だと称するラングレンを異端だとして破門する。
するとラングレンは
「イエスがそうだったように、偉大な預言者は迫害されるのが通例だ。我々は敵から身を守らなければならない」
と言い、信者達と共に町から離れた農村に移り住み、大量の銃器を集めて武装していく。
そして、身を守る為に、軍事訓練に勤しむようになる。
このような行いに嫌気がさす信者が現れ始めるのは当然だった。
1989年4月17日、デニスとシェリルのエイヴリー夫妻は、現状に対する不満をラングレンに打ち明けた。
すると、ラングレンは5人の男性信者に指示し、あらかじめ深い穴を掘っておいた納屋にエイヴリー夫妻を誘い込み、両手足をガムテープで拘束した。
そして、身動きがとれなくなったエイヴリー夫妻を、ラングレン自らが銃で射殺し、掘っていた穴に放り込んだ。
更に、夫婦の3人の子供達が納屋に1人ずつ誘い込まれ、ラングレンが1人ずつ射殺した。
死体は夫妻と同じ穴に捨てられ、埋められた。
ラングレンは5人を殺害した後、
「私は最後の審判の執行を行ったのだ!」
と神に報告するのだった。
この殺害の直後、ラングレンは農場を放棄し、信者たちと共にウェストヴァージニア州の荒野に移動した。
しかし、ラングレン一行が農場を去った後、警察が武器摘発の為の立ち入り捜査で農場を訪れると、偶然、納屋の地下から死体を発見する。
一方、ラングレンは宛のない移動を続けており、荒野を彷徨っていたのだが、疲れ果てた信者たちが次々と脱落していく。
結局、妻と3人の信者以外は全員ラングレンのもとを去り、ラングレンは農場に戻った所を逮捕された。
1990年1月7日、裁判でラングレンは殺人で有罪となり、死刑が言い渡された。
ラングレンの妻には懲役150年、殺人に係わった男性信者5人全員には、懲役170年の刑が言い渡された。
2006年10月24日、薬殺による死刑が執行された。
享年56歳。
∽ 総評 ∽
カルト教祖になる人物は、ラングレンのように幼少時、『聖書』に没頭する人物像が多い。
多分、『聖書』の解釈を独自に歪んで解釈してしまうのだろう。
また、こういったカルト宗教は「身を守る」や「敵を排除する」といった理由で武装するの事が多く、それが後の凶行に拍車をかけることになる。
そして、その武装は脱走者や不満を抱く者に対して向けられるようになり、神の啓示のもと抹殺が行われる。
考え方が自分勝手でとてもついていけないと思うのは当然なことで、それに従う方がどうかしている。
ただ、これこそ洗脳のなせるわざであろう。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・殺人数 5人
《犯行期間:1989年4月14日》
コメント
コメント一覧 (2)
最後に処刑された欧米のカルト教祖になるかもしれないし。
確かに珍しいですね。
なんだかんだ宗教には甘いですからね。