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ロベルト・スッコ (イタリア)
【1962~1988】



1962年4月3日、イタリア・ベネチアの小さな町メストレで生まれた。

父親は警察官で、母親は専業主婦であった。

母親は編み物が好きで、両親とも温厚な性格で、一家には何の問題もなかった。


幼少の頃のスッコは特に目立つ所もない、よくいる平凡な少年であった。


10代になったスッコは、温和で物腰の優しい青年に育っていった。


1981年4月12日、そんな平和な家庭が一転地獄に変わる。

19歳になったばかりのスッコは、出掛けており、普段よりも帰宅が遅くなった。

その事を母親に諫められると、スッコは一瞬にて怒りが頂点に達し、キッチンから包丁を持ち出すと、母親の腹部を刺した。


激痛に倒れた母親に、今度は登山用のピッケルを持ち出し殴打する。

のたうつ母親を浴室まで運ぶと、バスタブに沈めて溺死させた。


スッコはもちろん初めての殺人だったが、その過程と行動は冷静そのものだった。


その夜、今度は仕事が終わり帰ってきた父親の胸元をナイフで突き刺し、斧で頭を殴って殺害。

遺体を母親同様、バスタブに沈め、死臭を誤魔化す為に大量の洗剤を振りかけ、自宅から逃走した。


しかし、死体はすぐに発見され、警察が近隣の国道に機動隊をすぐに配備し、翌日、スッコは逮捕される。

逮捕されると、マスコミはスッコを
『天使の顔』
と呼ぶほど、スッコの端正なルックスに世間は注目した。


捜査当局は、スッコを精神分裂症と認定し、身柄を北イタリアにある精神病者専用の刑務所に移送された。


スッコは礼儀正しく、端正なルックスが功を奏し、収容者の預金管理を任されるほどの信頼を得る。


1986年4月、収容から5年が過ぎた頃、院長から外出許可を得たスッコは、そのままフランスに向かい、消息を絶ってしまう。


フランスに辿り着いたスッコの行動は常軌を逸していた。

白昼堂々ライフルをぶっ放し、車を奪いフランス東部を暴走する。

しかも、警察との息詰まる追走劇の中で、サブリナという名の女子高生に声をかけ、恋仲にまでなっていた。


1987年4月、スッコが車上荒らしをしている所に出くわした白バイ警官を、ショットガンで蜂の巣にして殺害。

続けて人質としてさらった中年女性と、タクシー運転手の2人を撃ち殺した。

しかも、この連続殺人の直後に、スッコはサブリナを誘い、自分の誕生日パーティーを開催し、サブリナの母親に挨拶にまで出向いていた。

スッコの好青年ぶりを、サブリナの母親は心から喜んでいた。


だが、テレビで警官殺しのニュースを見たサブリナは、初めて自分の恋人が殺人犯だと気付き、サブリナはすぐに警察に駆け込んだ。


サブリナの裏切りを知ったスッコは、更に暴走さが増し、宝石店で盗んだ金品を現金に換えると、高級住宅地の別荘に押し入り、40代の女性を強姦した挙げ句に殺害。


続けて6件の強盗を働き、その後、再び別荘地で30代の女性を凌辱する。


1ヶ月後、ナイトクラブで口論になった男性の胸を撃った上、逃亡先のホテルに現れた刑事を殺害する。


警察の捜査が厳しくなる中、スッコは偽造免許を使って今度はスイスに向かう。


スイスで憲兵1人を銃殺し、4人家族の民間を襲い、監禁暴行を働いた後、生まれたイタリアに戻る。


そして、イタリアでスッコはついに逮捕されてしまう。


逮捕された翌日、自由時間の隙をついて刑務所の屋根に登り、空に向かって

「マスコミを呼べ!」

と叫んだ。


すぐに地元TV局の取材ヘリが現れると、

「サブリナ!お前のせいで捕まったんだ!お前は淫売だ!くたばっちまえ!」

と罵詈雑言を吐いた。

その後、脱走を企てるが、屋根から転げ落ちてしまい、スッコはついに観念する。


1988年5月23日、見回りの看守が独房でビニール袋を被って窒息により自殺しているスッコを発見する (他殺説もある) 。

尋問をこれから開始するという所だったので、詳しい犯行動機は永遠に不明のままになった。


最後に、両親殺害の動機を聞かれた際のスッコの言葉を掲載したいと思います。

「親との仲は良かった。僕にとって重要だったのは、ただ家を出て自由になることだった」



∽ 総評 ∽

イタリア、フランス、スイスと、ヨーロッパを渡り歩き犯罪の限りを尽くしたスッコ。

しかも、その犯行は大胆かつ凶悪で、それは時間が経てば経つほど増していった。

通常、多くのシリアルキラーは、大概が崩壊した家庭で育っていることが多い。

しかし、スッコは両親も穏やかで虐待などなく、しかも、スッコ自身も犯罪歴などなく温厚な少年であった。

そんなスッコが母親に少し怒られたくらいで殺害してしまったが、その理由が全くわからない。

ただ、スッコは「家を出て自由になりたかった」と言っていたことから、もしかしたら両親から家を出る事を反対され続けていたのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 7人以上
《犯行期間:1981年4月12日~1987年5月》