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ヤハウェ・ベン・ヤハウェ (アメリカ)
【1935~2007】



本名フロン・ミッチェル・ジュニアは、1935年10月27日、アメリカ・オクラホマ州キングフィッシャーで生まれた。


ヤハウェは大学で心理学を学び、ロー・スクールに進学するが、突然、

「白人とユダヤ人は諸悪の根源だ」

という信念を抱き、布教活動を始めた。


1980年、ヤハウェはマイアミに拠点を移し、この時初めて「ヤハウェ・ベン・ヤハウェ」と名乗り、新興宗教『愛の寺院』を立ち上げる。

ヤハウェは頭にターバンを巻き、宝石のアクセサリーを沢山身に付け、常に数人の武装したターバンと白衣姿のボディーガードを従えていた。

『愛の寺院』の教団本部は、火災で廃業したスーパーマーケットの建物だった。


ヤハウェの風貌と教えにより、『愛の寺院』の信者はアメリカ全土に広がり、ヤハウェのもとには大金が転がりこんだ。

すると、教団内は性とドラッグにより腐敗していった。


一方、教団は地元の役所や商店街と提携し、融資等を行い、地域の活性化に貢献した。

また、大学を設立して教育活動にも熱心であった。

だが、ヤハウェは教団から脱退する者には容赦なかった。


1981年、脱退した信者2人が殺害される。

1人はヤハウェの命令により派遣された10人の信者により殴る蹴るの暴行を受けた上、斧で頭を切断された。

もう1人は信者2人はナイフで刺された上、銃で撃たれて死亡した。


1983年には、教団脱退者の1人が信者30人に、よってたかって鉄の棒で殴り殺された。


1986年、教団は貧民地区のアパートの住民を強制的に立ち退きさせたのだが、この時、抵抗してきた2人の住民を射殺し、斧で頭を切断した。


教団内では血の粛清が横行し、そんな『愛の寺院』に対して警察は、地元経済活動に貢献しているという理由から、寺院への捜査に消極的であった。

そこで、代わりにFBIが捜査に乗り出すこととなった。

FBIは1986年の殺人事件の犯人として、ロバート・アーネスト・ロジエ・ジュニア (33歳。元有名なフットボール選手) を逮捕した。


ロバートは
「4人を殺害した」
と自白したが、検察側との司法取引により、死刑判決を回避し、懲役22年に減刑された。

ロバートは4件の殺人以外でも、ヤハウェの命令で白人のホームレスを8人殺害した。

その証拠として、死体から両耳を切り取り、ヤハウェの手土産にしていた。

ヤハウェはその耳をファストフードの紙袋に入れて持ち歩き、ときおり取り出して眺めてはニヤニヤと笑っていた。


1990年、連邦検察によってヤハウェは起訴され、FBIによってついにヤハウェは逮捕された。


1992年、ヤハウェには殺人罪などで有罪が確定したが、「地元に対する貢献」によって減刑となり、懲役18年が言い渡された。


2007年5月7日、ヤハウェは前立腺癌により死亡した。

享年71歳であった。



∽ 総評 ∽

ヤハウェの『愛の寺院』はカルト宗教としても有名である。

ヤハウェのような教祖は多く、大体がこのような結末を迎える。

教団内での暴行も定番で、脱退者による粛清は当然であった (『オウム真理教』も脱退しようとした信者を殺害している) 。

ヤハウェは地域活性化に力を入れていたが、これも他のカルト宗教にはよくみられる行動である。

地域に貢献することで、周囲の目を誤魔化し、好きなことをすることができ、警察も手を出しづらくなる。

しかも、社会貢献によりヤハウェは減刑され、死刑どころか懲役18年で済んでいる (ただし、これらの慈善事業が警察の目を誤魔化す為にやっていたかどうかはわからない) 。

ただし、出所前に病気で死んでおり、天罰からは逃れる事はできなかった (だが、天寿を全うしたということにはなるが) 。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 14人以上の殺害を指示

《犯行期間:1981年~1986年》