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カール・ワッツ (アメリカ)
【1953~2007】



カール・ユージーン・ワッツは、1953年11月7日、テキサス州キリーンで生まれた。

父親は陸軍の上等兵であった。


ワッツが生まれて間もない1歳の時に両親が離婚し、ワッツは母親に引き取られた。


母親はワッツを連れ、ミシガン州インクスターに引っ越し、7年後に再婚した。


ワッツは12歳の時、

「女を拷問し、最後には殺したい」

と思うようになる。

ワッツは母親はおろか、義父にも虐待された形跡はなく、なぜ突然そのように考えたのか不明である。


1969年、ワッツは26歳の女性をレイプし、逮捕される。

まだ15歳という事もあり、ワッツはわずか4ヶ月で釈放された。


高校ではフットボールの選手として活躍し、その実力はテネシー州のレイン大学に推薦入学するほどであった。


しかし、入学したワッツは大学近辺でレイプを繰り返すようになる。

そして、その連続レイプの犯人がワッツであるという噂が流れ、大学はワッツを退学処分にする。

だが、警察がワッツを取り調べることはなかった。


1974年、ワッツはウエスタン・ミシガン大学の女子大生グロリア・スティール (20歳) をナイフで刺し殺す。

ワッツは逮捕されるが、警察はワッツを起訴するだけの証拠を集める事ができず、別の女性に対するレイプ事件のみで起訴され、懲役1年の刑が言い渡された。


1年後、釈放されたワッツは、以前にも増して殺人に精を出す。

アメリカを転々としながら、7年間に渡って女性をナイフで切り裂き殺害して回った。

ただ、以前はレイプ事件を数々犯してきたワッツだったが、何故かレイプせずただただ殺すだけだった。


ワッツが中々逮捕されなかった理由は、1か所ではなくいくつもの州をまたいだこと、被害女性がレイプされていなかった為、同一犯とは思わなかったからであった。

特にテキサス州ではこの連続女性殺人事件を
「サンデー・モーニング・スラッシャー (日曜の朝の切り裂き魔) 」
と呼んで恐れた。


しかし、1982年5月23日、テキサス州ヒューストンで、女性を殺そうとした所をあっさり現行犯逮捕されたのだった。

地元警察はワッツを連続殺人犯だと睨み、司法取引を持ちかけた。

するとワッツは、

「テキサスで12人殺した」

と自白し、司法取引により大幅に減刑され、懲役60年となった。

しかし、ワッツが殺人を犯していたミシガン州、オハイオ州、カナダなどでも司法取引を持ちかけたが、それにはワッツは応じなかった。

その為、正確な殺害数は不明のままだが、最低でも22人の殺害は確実で、本人は

「全米で80人は殺した」

と発言した。


2007年9月21日、ワッツはテキサス州の刑務所内で、前立腺癌により死去した。

享年53歳であった。



∽ 総評 ∽

通常、シリアルキラーは幼少時に虐待された者が多い。

しかし、ワッツにはそういう事がなかった。

また、ワッツは大学時代、あれほど行っていた強姦を、殺人行脚の時には一切行わなかった。

通常、強姦殺人鬼の場合、強姦と殺人はワンセットで、緊急事態でもない限り、強姦しないで殺人だけするということはない (そもそも強姦しない男性シリアルキラーは少ない) 。

そういった点ではワッツは珍しいシリアルキラーと言える。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 22人
(本人は80人以上と自供)
《犯行期間:1974年~1982年5月》