image






ジュリエット・ヒューム (ニュージーランド)
【1938~ 】



image






ポーリーン・パーカー (ニュージーランド)
【1938~ 】



ヒュームはイギリス、パーカーはニュージーランドで、それぞれ1938年に生まれた。


パーカーは知的で成績が良かったが、空想癖があった。


ある日、パーカーが通う高校に、イギリスからヒュームが転校してくる。

ヒュームの父親は大学の教授で、その父親の仕事の都合で、ニュージーランドに引っ越してきたのだった。

ヒュームもパーカー同様知的で賢く、パーカーよりも非常に強い空想癖の持ち主であった。


2人は思考が同じ者同士意気投合し、仲良くなる。

空想好きの2人は、自分達独自の世界に入り込み、詩や小説を書くことに熱中し、更に空想世界にのめり込んでいった。

その空想世界とは、ボロヴィニア王国という世界で、その王国の年代記や複雑な家系図を記しており、とても女子高生が書いたものとは思えない完成度であった。


2人は空想に耽るだけではなく、性行為にも夢中になり、お互い肉体を求め、快感に溺れた。

その行為を2人は

「聖人の愛を交わす」

と称していた。


この幸せな生活を送っていた2人の関係を、両家の親は知ることとなり、交際に猛烈に反対する。

だが、よくあることだが、反対されればされるほど、2人の関係はますます強固なものになっていった。


だが、2人に想定外のことが起こる。

大学教授という世間体を気にするヒュームの父親が、ヒュームを強制的に南アフリカに移住させようとしたのだ。

この事実に2人はショックを受けるが、すぐにどうすれば2人揃って南アフリカに行けるか考えた。

そこで考え出されたのが、パーカーの母親を殺せばいいという、短絡的かつ稚拙な案であった (ちなみにパーカーは母子家庭であった) 。


1954年6月22日、ヒュームとパーカーは、パーカーの母親メアリーを襲いレンガで殴り殺した。

2人で合計45回も殴っており、メアリーの頭部は原型がないくらいぐちゃぐちゃになっていた。

2人はメアリーの死を事故死に見せかけようとしたが、事故死というにはあまりに不自然過ぎた。

警察が2人を追及したところ、2人はあっさり犯行を自供した為、逮捕された。


裁判で2人には無期懲役の判決がでたが、お互いまだ未成年であった事と、2度と2人で会わないことを条件に、5年後に仮釈放された。


ヒュームは女子少年院で外国語を習い、編み物や小説執筆して過ごした。

パーカーは高校卒業資格をはじめ、各種の資格取得や職業訓練に積極的に取り組んだ。


出所後、パーカーはニュージーランドに留まり書店に勤めていたが、のちイギリスに移住し、南東部で子供向けの乗馬学校を開いた。

現在はスコットランドの離島でひっそりと余生を送っている。


ヒュームはイギリスに帰り、客室乗務員など複数の仕事に就いた。

そして、意外な事でヒュームの存在が明らかになる。


1994年、映画監督ピーター・ジャクソンにより、本件の事件が映画化された。

その映画は『乙女の祈り』というタイトルで、内容の素晴らしさから話題になったのだが、その中でイギリスの人気ミステリー作家アン・ペリーが、実はヒュームだと判明したのだ。

現在、スコットランドの漁村に老いた母親と共に暮らすヒュームはインタビューで、

「隠すことが何もなくなってしまったので、これからはありのままの自分で生きていけます」

と語っている。



∽ 総評 ∽

別れたくないが為に、自身の母親を手にかけたパーカーとヒューム。

2人は思考・発想が酷似しており、まさに運命の出会いと感じ、強く惹かれあった。

ただ、殺人の理由としては幼稚で知的な要素がまるでない。

そもそもパーカーの母親を殺した所で、パーカーが孤独になるだけで、ヒューム家が「パーカーも南アフリカに連れて行こう」となるはずもない。


ヒュームが故郷のイギリスに戻るのは不思議なことではないが、パーカーはヒュームの故郷であるイギリスに移住している所をみると、未だヒュームに対する気持ちがあるように思えてならない。

しかも、パーカーもヒュームもスコットランドに住んでおり、2人とも1度も結婚していない (完全な情報ではないが、2人の足跡を辿ると結婚していた節がない) 。

2人の生活を常時監視しているわけではないので、もしかしたらこっそり会っているのかもしれない。


ただ、個人的意見だが、自らの母親を殺してまで一緒になりたいと思ったのだから、その愛を死ぬまで貫いて欲しいと思うのは私だけだろうか? (裁判で2度と会わないと約束したので無理だが)



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1954年6月22日》