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リチャード・ローブ (アメリカ)
【1905~1936】



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ネイサン・レオポルド (アメリカ)
【1904~1971】



リチャード・アルバート・ローブは1905年6月11日に、ネイサン・フロイデンソール・レオポルド二世は1904年11月19日にそれぞれアメリカ・シカゴでユダヤ人の家に生まれた。


ローブの父親は全米一の通信販売会社社長の息子で、レオポルドも金持ちの家の息子であり、2人共に裕福な家庭で育った。


2人がどのような経緯で知り合ったのかよくわからないが、2人はホモセクシャルの恋人同士で、ローブが御主人様で、レオポルドが性奴隷という関係性であった。


大学に入学したローブとレオポルドは、成績優秀で容姿端麗で、2人共にニーチェの「超人思想」に傾倒した。

知能指数が非常に高く、自分達は別格で特別な存在だと考えるようになる。


2人はそんな自分達の優秀さを証明する為、完全犯罪を起こす事を考える。

逮捕されずに殺人を遂行できる力があると信じていた。


優秀な2人ならではの綿密な計画が練られると期待されたが、その計画は賢さを証明するにはほど遠いものだった。

まず女の子を殺すと考えるが、すぐに却下され、次にローブの弟を殺す計画に変更となる。

しかし、これもまたすぐに変更され、ローブの弟の友人の少年を標的にすることになる。

しかも、計画実行の当日になると、その少年が見つからず、仕方なく標的をローブの従弟ボビー・フランクス (16歳) にするというずさんなものだった。


1924年5月21日、フランクスを車で拉致した2人は、フランクスの頭を殴り、背中をノミで刺して失血死させる。

その後、線路下の排水溝に行くと、生き返らないように更に首を絞め、念をおした。

そして、フランクスの服を脱がせ、身元がわからないよう顔と性器に硫酸をかけた。


2人は身代金目的の誘拐だったように見せかける為、入念に工作。


フランクスの家に

「ボビーを誘拐した」

と電話し、1万ドルの身代金を要求。

そして、脅迫状も郵送した。


だが、フランクスの父が身代金を払えるようになる前に、死体が発見されてしまう。

しかも、死体の側に高級ブランドの眼鏡が落ちていた。

それが、ローブのものだと判明し、警察が取調べを重ねるうちに2人のアリバイは崩れ、ついに2人共犯行を自供した。

取り調べで殺害については、2人共相手に罪をなすりつけ、醜態を晒した。


2人の家は裕福であり、充分な小遣いをもらっていた為、身代金が動機である訳はなかった。

2人はただスリルが欲しかっただけで、2人共、拘置中も終始スリルを感じ続け、新聞記者相手に犯行の様子を生々しく語った。


金持ちだった両家は大金を積み、敏腕弁護士で有名なクラレンス・ダロウを雇った。

裁判でダロウは2人がまだ未成年であること、また、2人は精神病であるとした論陣を展開し、何とか死刑を回避し、終身刑に判決を引き下げることに成功する。


その後、イリノイ州ジョリエット刑務所で、2人は自らの受けた高等教育を活かし、刑務所内の学校で教師となった。


1936年1月28日、ローブは囚人のジェイムズ・デイにシャワー室で襲われ、剃刀で切り殺された (デイは後にローブにレイプされそうになったと証言し、正当防衛が認められている) 。

享年30歳。


レオポルドは1958年、53歳の時に33年間の服役を経て、仮釈放が認められて出所する。

レオポルドはマスコミの取材攻勢を避ける為、プエルトリコへ移住し、そこで花屋の未亡人と結婚する。


1971年8月30日、心臓発作にて死去した。

66歳であった。


ありがちな誘拐事件とは違い、完全犯罪を遂行することで自分たちの優越性を立証しようという動機の異様さが話題を呼び、事件後、多くの小説や戯曲・映画の題材になった。



∽ 総評 ∽

ニーチェの超人思想に感化され、その優秀さを披露しようとしたローブとネイサン。

彼らは確かに有能で賢かったが、犯罪に対してはずぶの素人で、計画も実行力も単純で稚拙なものであった。


小生も以前、彼らを題材にした映画を観た事があるが (なんていうタイトルだったかは忘れた) 、本件を忠実に再現していたと思われる。

逮捕後、ローブもネイサンも罪をお互い擦り付けたが、複数人で犯罪を犯す場合、多く見られるパターンで、情けなくみっともないというほかない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1924年5月21日》