ロバート・バーデラ (アメリカ)
【1949~1992】
ロバート・アンドリュー・バーデラ・ジュニアは、アメリカ・オハイオ州カイヤホガフォールズで生まれた。
バーデラは無口で内向的な少年だった。
バーデラの父親はわずか39歳という若さで死去している。
これは、まだ成人しないバーデラに少なからず影響を与えた。
バーデラはカトリック教を熱心に信仰していたが、それは父親の死のショックを乗り越える為であった。
しかし、結局は乗り越える事は無理であった。
教会に行かなくなったバーデラは、代わりに他の宗教に興味を持つようになり、奇妙な宗教と関わりを持った。
これは後にメディアがバーデラを「サタニズム (悪魔崇拝者) 」と批判する事となる。
高校卒業後、バーデラはカンザスシティに移り住み、美術学校へ入学する。
バーデラは美術学校で、独特の美術センスを披露し、他の生徒とは異なり、いつも奇妙だと批評されていた。
バーデラはこの美術学校時代に、LSDやマリファナなどの禁止薬物の所持と売買により、何度か警察に逮捕された。
また、バーデラ自身も、日常的に薬物を摂取していた。
そしてこの頃、カンザスシティに自宅を購入する。
バーデラは見た目は普通の白人男性で、温厚な人物だと思われていたが、周囲からは「奇妙な人物」だと思われていた。
その理由として、バーデラは
「ボブのビザール・バザール」
という一風変わった店を経営していたからだ。
この「ビザール・バザール」は、悪魔教崇拝の儀式用具セットや、魔術用品、オカルト本や儀式用ロープ、各種お香、死体のレプリカなど、奇妙なで怪しい物ばかり販売していた。
シリアルキラーの中には、バーデラのように悪魔に傾倒する人物は多い。
バーデラの品揃え、ただ単に仕事として揃えていたわけではなかった。
バーデラは自身の店で扱っている商品に「魔力」がついていると本気で信じていた。
そして、バーデラは1984年から自らの趣味と実益を両立させるようになる。
ホモセクシャルだったバーデラは、町で薬物や自分の体を売っている青年を見つけては、店の裏手にある家へ連れ込み、そこで拷問した。
そして、強姦し棍棒で叩き、電気ショックを与え、薬を注射し、完全に自分の「おもちゃ」にする。
バーデラは基本、その「おもちゃ」が死ぬことを望まなかった。
バーデラは、なるべく長く生き延びさせて拷問を楽しみたかったからだ。
バーデラは性奴隷に作り上げた「おもちゃ」が、言うことを聞かなかった場合、漂白剤を目薬代わりに目に垂らすなどの拷問も行った。
また、投与したらどうなるかわからない薬物を何種類も「おもちゃ」に飲ませたり、血管に注射し、その後の経過をノートに小まめにつけていた。
そして、肛門には考えつく物はたいてい突き刺した。
このようにバーデラは生粋のサディストだった。
「おもちゃ」が死ぬことはあったが、それはバーデラにとってアクシデントであり、しょうがないことだった。
そのアクシデントは多々あり、時には薬の与え過ぎで、時には窒息で、時には肛門が裂けるアクシデントで死んでしまった。
しかし、それはバーデラにとって仕方のないことだった。
基本、バーデラに殺意はなかった。
バーデラは死んでしまった死体を浴槽へ運び、そこで部位ごとに切り刻んだ。
ナイフやチェーンソーで細かく分けられた死体は、ゴミ袋に分けて詰められた。
そして、ゴミ捨て場へと捨てた。
こうしてバーデラは、1988年までに6人の男性を殺害する。
1988年4月1日、バーデラの奴隷の1人が隙をみて脱出する。
その男性は全裸で皮の首輪だけしており、警察に駆け込んだのだった。
この男性の供述により、バーデラは逮捕された。
バーデラの自宅を捜査した警察は、その様子に愕然とする。
家の中には、膨大な量の証拠品が発見されたのだが、犠牲者を撮影した357枚もの写真、膨大な拷問の詳細を記述した日誌類、本物か作り物か一見しただけでは区別がつかない人間の骨や歯で作られた美術品、殺害に至るまでを撮影したビデオなどであった。
357枚の写真には23人の異なった男性が写っていた。
しかし、巧妙に顔が隠された写真が多く、拷問を実行しているバーデラも、顔は写っておらず、それを識別するのは非常に難しかった。
バーデラの自宅の庭からいくつかの骨が発掘された。
それは新しく、まだ肌の一部が付着していた。
写真、日誌などにより数十人の殺害は間違いなかったが、明白な証拠は発見できなかった。
特に死体は全く発見できず、証拠を見つけることのできた6人の若者の殺害の罪でバーデラを告訴した。
裁判では犠牲者の多くの遺族たちが死刑を望む中、検察はバーデラに終身刑を求刑した。
なぜ終身刑ですんだのかというと、バーデラは検察から犯行の詳細を語れば、死刑を求刑しないという司法取引に応じていた為だった。
精神科医はバーデラのことをレポートの中でこう評した。
「利己主義で自己中心的、加虐趣味である。犠牲者たちのような『貧しい人間』は彼の眼には臆病で無価値であると写り、自分は偉大なビジネスマンだと信じきっている」
1992年10月8日、ミズーリ州立刑務所内において心臓発作にて死去する。
享年43歳だった。
事件の捜査官の1人はインタビューにこう答えた。
「彼が良心の呵責を感じているとは一切思えなかった。彼は、逮捕されるか、死ぬかしなければ、この行為をずっと続けていただろう」
∽ 総評 ∽
「カンザスシティの屠殺者」と呼ばれたバーデラは、生粋のサディストで、ゲイであった。
ただ、バーデラがなぜゲイになったのかはいまいちわからない。
バーデラはよくいるゲイのシリアルキラーと言えばそれまでたが、少し異質な所は、殺害する気がなかったところだ。
バーデラは父親の死にショックを受け、精神状態に異常をきたしたが、世の中、バーデラ以上に辛い経験を乗り越えている人は沢山いる。
正直、バーデラには同情の余地はない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 6人 (警察の調査では数10人)
《犯行期間:1984年~1988年》
コメント
コメント一覧 (6)
結構被害者の写真というのは存在するんですよね。
もちろんそういうのはあえて掲載しないようにしています。
日本は被害者の顔写真は堂々と映し出されるのに、加害者の顔は隠される事ありますよね。
本来逆ですよ。
拷問はするのに自分はさせないんだ
まったくもって怒りがわいてきてしまいますよ
それが残念ながら現実です。
凶悪犯が拷問するのは許されますが司法が凶悪犯に拷問するのは許されないのがこのご時世ですね。
英語版wikipediaによると、バデラは学校でいじめられ両親から体罰などの虐待を受けていたようです。
ゲイシーと同じく虐待する親を慕う心理は不思議ですね。
日本でもいじめと虐待の話題が増えていますが、これ以上間違った道に進む人が増えないでほしいです。
しかし殺人をしていい理由にはならないし、
犯人自身が助かるための司法取引オチには絶句しました。
被害者無視にも程がありますよ。
そうだったんですね。
どんな親でも親という事でしょうか。
仰る通り虐待されても殺人を犯していいという理由には一切なりませんので、許されませんね。
被害者や遺族無視の司法は本当に酷いです。