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スティーブン・ジュディ (アメリカ)
【1956~1981】



ジュディは家庭崩壊の中で育った。

両親の思い出といえば、激しい喧嘩をしている事くらいだった。


そんな中、ジュディは養子に出され、とある養父母のもとで暮らす事になるのだが、その養父母はジュディに愛情を注いだ。

しかし、ジュディにとってそれはもう手遅れだった。


12歳の時、近くの家のドアをノックし、応対に出た女性に、クッキーを買って欲しいと言った。

その女性が家で1人だと確認すると、ジュディは家に押し入り、その女性をベッドルームに閉じ込め、ナイフで脅して強姦した。

しかもナイフでその女性を41ヵ所も刺した。

とどめに斧でその女性を殴り殺そうともした。


ジュディは猟奇性と性欲に関して、かなりの早熟ぶりを発揮している。


それだけの傷を負ったが、女性は脳の切開手術を受けて命を取り止め、ジュディを犯人と告げた。


ジュディは精神病院へ送られたが、9ヶ月で退院する。


18歳の時には、シカゴで女性を殴打し起訴された。

この罪でジュディは12ヶ月間刑務所に入ることになる。


インディアナポリスでは、若い女性をドライブに誘い車に強引に乗せるが、その女性はなんとか脱出して助かり、またジュディは1年間刑務所に入った。


その裁判ではジュディは、4月28日の朝、ガールフレンドを車から降ろした後、テリー・チャスティーンという女性が3人の子供を乗せてドライブしているのを見た。

テリーの車に並行して走ったジュディは、タイヤを指差した。


テリーは車を停め、何が調子悪いのか調べた。

ジュディは巧妙にテリーの車のボンネットを上げ、イグニッション・コイルを切り取った。

それからテリーにガソリンスタンドまで乗せて上げると申し出た。

テリーはジュディを信用し、車に乗った。

発進すると、ジュディは

「あんた、これから何が起きるか分かってるんだろうな」

とテリーに言い、ホワイト・リック川に掛かる橋まで行くと、テリーの子供を外に出した。

それからジュディはテリーに服を脱がせ強姦する。


テリーが叫び声をあげると、ジュディはテリーの首を締め殺害する。

テリーの叫び声で子供達が走って戻って来た。

ジュディは1人ずつ子供を掴んでは川に投げ込んだ (2男1女) 。


裁判でジュディが12歳の時に暴行した女性が出廷し、揉み合いの時に切り落とされた人差し指の生々しい傷跡を陪審員に示した。


1980年2月16日、ジュディには死刑が宣告された。

ジュディは一切の上告を拒んだ。


1981年3月8日、ジュディは最後の食事を摂り、医師からもらった鎮静剤を口に入れ、電気椅子による死刑が執行された。

ジュディの養母によると、ジュディは思い出せないほどの女性を暴行、殺害したと語ったという。

それはテキサス州、フロリダ州、ルイジアナ州、イリノイ州、インディアナ州と、殺した女性が数珠繋ぎであると語っていた。


最後にジュディが裁判の時に陪審員に向かって言った言葉を掲載したいと思います。

「次はあんた達か、あんた達の娘かもしれないぜ。だから俺を死刑にしたほうがいいぜ」



∽ 総評 ∽

ジュディは自ら進んで死刑を求刑し、しかも上告も一切拒み、後悔も反省の言葉もなかった。

自ら進んで死刑になりたがるシリアルキラーは意外に多い。

それは2度と殺人という快楽を得る事が出来ない為、それならいっそ死んだほうがいいという発想に他ならない。

多くのシリアルキラーは、人の命に淡白なかわりに、自分の命にも淡白なのだ。


ジュディは崩壊家庭に生まれ育った為、シリアルキラーになってしまったが、初めから養父母に育てられたなら、もっと違った人生を送れたかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 4人
(本人はもっと殺害したと発言)
《犯行期間:1968年~1979年4月28日》