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アーンフィン・ネセット (ノルウェー)
【1937~ 】



1937年にノルウェーの西海岸の小さな農村で、私生児の子供として生まれた。

ネセットが生まれた場所は、村人全員が昔からの知り合いという保守的な地域社会であった。


ネセットは自分が望まれて生まれて来たわけではないと痛感していた (私生児だったので、そう考えるのはしょうがないが) 。


ネセットは劣等感と状況によって突然攻撃的になるという行為が目立った。

後悔や罪悪感を全く示さない人間になっていった。


そんなネセットには友人など出来るわけもなく、人と交際することはなく、結婚もしなかった。


ネセットの態度は物静かで控えめだった。

シリアルキラーの中には、ネセットのように内向的で孤独な人物は多い。


1977年、ネセットはノルウェーのナーシングホーム (金持ちの老人が入院する家庭的な私立病院) の経営者の地位についた。


しかし、その1977年5月から1980年11月までの3年半の間に、老人の不審死が相次ぐ。


この不審死に初めて気付いたのは、地元新聞記者の女性であった。

ネセットがかなりの量のクラシット (クラシットは南米のインディアンが毒矢の矢じりに塗るクラーレという猛毒から抽出される物質で、症状としては呼吸器系を麻痺させ、窒息により死に至る) を注文しているという内部告発を聞いていたのだ。

実際、そのクラシットを注文してから、老人の死亡が相次いでいた。


その新聞記者は警察に通報し、警察が調査した結果、1981年3月9日にネセットは25人の老人殺害の容疑で逮捕される。

ネセットが殺害したとされるのは、男性11人、女性14人で、年齢は67歳から94歳までだった。


捕まった当初は、クラシットは犬に使用する為に注文したと言い張っていた。

しかし、後に27人の患者を殺害したと自白する。


だが、それだけではなく、実はネセットは1962年以降働いていた3つの施設で、殺害を行っていた。


その殺害数は、1982年10月に裁判が開始されるまでに、62人という驚くべく数字になっていた。


ネセットの裁判は5ヶ月続き、これはノルウェー裁判史上、最長記録となった。


1983年3月11日、ネセットは22人の殺害と、1件の殺人未遂と5件の横領で有罪となった。

判決の全文の朗読に15分もかかった。

陪審員が個別の判決に合意するのに3日間を要した。


ネセットはノルウェーの法律で殺人で裁かれる最も重い懲役21年、最高10年の予防拘禁を宣告された。


ネセットは殺害についていくつかの理由を挙げ、

「安楽死」
「面白いから」
「自己顕示欲が重なった精神分裂症」
「なんとなく殺したくなった」

など発言している。


最後にネセットが警察の取り調べで言った言葉を掲載したいと思います。

「たくさん殺したので、1人1人はとても覚えてない」



∽ 総評 ∽

ネセットは当時、
『スカンジナビア半島史上最悪の大量殺人鬼』
と呼ばれたが、同じノルウェーで2011年にアンネシュ・ブレイビクが、69人殺害したことで、その不名誉な地位から陥落した (ただしブレイビクの場合、瞬間大量殺人にも関わらずネセットの記録を超え、しかも爆殺も含めると77人であった) 。


ネセットは病院経営者という立場を利用し、次々と患者を殺害した。

以前掲載したハロルド・シップマンも患者を次々と殺害したが、ネセットの残酷な所は、シップマンはモルヒネの大量投与で殺害したのに対し、ネセットはクラシットという劇薬で殺害してことだ。

殺害した犠牲者の苦しみはモルヒネの比ではないだろう。


ただ、ネセットがこれほどまでの殺人を行った理由は釈然としない。

保守的な閑散とした地域が、ネセットは嫌で、徐々に精神が蝕んでいったのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 62人

《犯行期間:1962年~1981年》