image










シャルル・ソブラジ (ベトナム)
【1944~?】



グルムク・シャルル・ソブラジは、1944年4月6日、南ベトナムのサイゴンで生まれた。

父親は大変なお金持ちで、母はその父親の愛人になった美しい田舎の娘であった。

しかし、父親がプーナでインドの娘と結婚すると、母親は荒れ狂い家から出て行った。

そして、フランス軍の下士官と結婚する。

当時、4歳だったソブラジの生活水準は急に低下してしまい、ソブラジは子供の頃から多くの暴力を目の当たりにして育った。

多くの人間が殺された爆破事件をソブラジは2回も見ていた。

また、ソブラジはおねしょがなかなか治らなかった。

9歳の時、ソブラジはフランスに移住するが、これが後のソブラジの人生を大きく左右することになる。

フランス・パリ郊外のカトリック系の寄宿舎に入れられたソブラジは、人種差別の格好の標的にされた。

これでソブラジはフランス元よりヨーロッパが嫌いになった。

15歳の時、ソブラジの学校の素行調書には「躾がなっていない。やる気がない。怠惰」と書かれている。

養父はそんなソブラジにガレージの職を見つけるが、変圧器のワイヤーを逆につけるという初歩的ミスをおかし、火事になりかけた。

そして、この事でソブラジは会社を首になってしまう。

ソブラジは家を飛び出し、サイゴンの実父の所に帰ろうとするが、途中で養父に連れ戻されてしまう。

更にマルセイユでベトナム行きの船に忍び込もうとしたが、またもや捕まり送り返された。

そんなある日、実父がパリにやって来る。

そして、サイゴンに帰ったら迎えを寄越すとソブラジに約束する。

しかし、航空券は届かなかった。

ソブラジは銃を手に入れ窃盗を試みた。

2回目の窃盗で捕まってしまったが、その家の女性は訴えを取り下げた為、逮捕されることはなかった。

その後、ソブラジは念願叶ってサイゴンに帰る事が出来たが、父親の車を横転させた事で関係が悪化してしまい、ソブラジはインドに送られてしまう。

ソブラジはインドのプーナの親類の家からも逃げ、船に忍び込んでサイゴンに戻った。

これに父親は怒り、今度はソブラジをフランスに送り返した。

フランスに戻ったソブラジは車を盗み、逮捕され刑務所へ入れられたが、保釈になる直前に刑務所から脱獄を試みた。

しかし、脱獄は失敗してしまい、そのせいで警戒がさらに厳重な刑務所へ移された。

その後、ソブラジは保釈され、消火器を売る職を得る。

ソブラジはシャンタルという名前の美少女と出会い、結婚を申し込む。

そして、盗んだ車で警察から逃げようとして電柱に衝突し、6ヶ月の刑務所入りとなってしまう。

この刑務所の生活で肉体を維持する為、熱心に運動に励んだ。

釈放されるとシャンタルと結婚し、人並みの職業に就いた。

しかし、やがてソブラジは平凡な生活に退屈し始める。

姉の小切手帳を盗み、6000フラン (約60万円) の小切手を偽造し、カジノで手っ取り早く金儲けをしようとした。

結果は惨憺たるもので、全額すってしまい、刑務所に逆戻りするが、姉が訴えを取り下げ、逮捕されずに済んだ。

だが、再び偽造小切手で約3万フラン (約300万円) の金を作ると、ソブラジは妻を連れてボンベイへ逃げた。

新天地に辿り着いたソブラジは、ダイヤモンドの密輸、為替の売り買い、偽造小切手で手に入れた贅沢品の売買で、巨額の富を得た。

この頃からソブラジは、自分には安楽な生活と富を持つ生活が相応しい人間だと考え始める。

それを手に入れる為なら何でもしていいとも考え始めた。

しかし、デリーで大掛かりな宝石詐欺を企み足がつき逮捕された。


脱走を図ったにもかかわらず、1972年に保釈されると、再び妻を連れてカブールへ逃げた。

だが、カブールでホテル代を踏み倒し、車の窃盗と不法出国によりソブラジ夫妻は逮捕された。

ソブラジはここでも刑務所から脱走してフランスへ戻った。

そして、ソブラジは遂に最初の殺人を犯す事になる。

それはインドへ戻る途中の出来事で、殺す意図があったわけではなかった。

ハイヤーした車の運転手に薬物を飲ませた。

運転手は前後不覚となり、ソブラジは運転手をトランクに入れ、テヘランまでドライブした。

運転手は窒息して死んでしまい、ソブラジはその死体を川に投げ込んだ。

テヘランでイラン皇帝の秘密警察に逮捕されたソブラジは、1年間刑務所で過ごした。

秘密警察側がソブラジを反皇帝運動の同調者とみなした為だった (余談であるが、妻は6ヶ月間刑務所で服役し、後にフランスに帰り、そこでソブラジに離婚届けを提出し、別の男性とアメリカへ渡っている) 。


1973年11月、実弟と合流し、その弟に盗みを教え込む。

中年夫妻に近づき、薬で昏睡状態にし、金品を奪って逃亡する。

だが、空港で発見され逮捕された。

しかし、すぐに刑務所を脱獄し、デリーに向かう。

ソブラジはカナダ人の少女と出会いバンコクに向かう。

そこでヘロイン取り引きで商売人を騙し、その男を薬物を飲ませ浴槽で溺死させた。

この事件は事故として処理され、ソブラジが捕まる事はなかった。


1975年10月13日、シアトルからやってきたアメリカ女性を、無理矢理薬物を飲ませ殺害し、死体をインド人に手伝わせ海に捨てさせた (このアメリカ人女性を殺害した動機は明らかになっていない) 。

香港の麻薬シンジケートは「アマチュア」の運び屋に対する見せしめ役をソブラジに一任していた。

香港側がこらしめる為に送ってきた「アマチュア」は、トルコ人の男性であった。

ソブラジはその男性に薬を飲ませ、殴打し次の連絡相手を聞き出し、首を折って殺した。

次の連絡相手はフランス人女性で、バンコクに姿を現したフランス人女性を殺害する。

次の犠牲者はオランダ人カップルで、そのカップルは5年間お金を貯め、世界一周旅行中であった。

ソブラジは2人と香港で出会い、バンコクに来たあかつきには自分のマンションに滞在するよう招待した。


2人は同年12月11日にソブラジの下を訪れ、徐々に薬物を飲ませ衰弱させる。


そして、同年12月16日、薬により朦朧状態であった2人を車で連れ出し絞殺し、死体はガソリンで火をかけられた。

しかし、ソブラジに殺害の容疑がかかり、その日のうちにネパールに脱出した。

そして、ソブラジは北インドでイスラエル人を殺害する。

その後、ソブラジ数々の薬により昏睡状態にさせ、金品を奪っては逃亡する、という事を繰り返す。


だが1976年7月5日、学生たちのパスポートを盗もうとしたが失敗してしまい、2人の警察官が現場に来てソブラジに尋問を始めた。

ソブラジは苦し紛れの言い訳をするが、通用せず、ついに逮捕された。

結局、ソブラジの犯行は10年間続き、この間ソブラジは少なくとも10人を殺害した。

ソブラジは重労働付き7年の懲役、工学関係の学生団体への不法薬物投与で2年の懲役を宣告された。


1982年、更に別の殺人容疑で終身刑を言い渡され、現在は刑務所の中なのか、仮釈放で出て来てるのかはわからない。



∽ 総評 ∽

ソブラジは犯罪を犯して逮捕されると逃亡、また犯罪を犯しては逃亡を繰り返した。

ソブラジの殺人や殺人未遂は、快楽によるものではなく、営利目的で、その行為は単純で分かり易い。

また、その方法も劇薬によるもので、ソブラジはどちらかというと毒殺魔に近い。

ただ、以前掲載したグレアム・ヤングのような典型的な毒殺魔とは異なる為、何とも微妙な立ち位置ではある。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 10人以上
(ほか負傷者多数)
《犯行期間:1973年~1976年》