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シャロン・キン (アメリカ)
【 1940 ~      】



1960年3月19日、キンは警察に電話し、

「夫の様子が変だ」

と気違いのようにわめいた。


キンが言うには、夫がベッドで死んでいるというのだ。

後頭部を銃で撃たれた痕があるらしい。


当時、19歳のキンは、エレクトロニクスの技術者であったジェームズと結婚してすでに4年も経っていた。


警察が現場に駆け付けると、キンは

「自分は別の部屋にいて、大きな音が聞こえた。急いでベッドルームに向かうと、2歳半の娘が銃を持っていて、夫を撃った」

と言った。


キンが言うには、2歳半の娘はよく銃で遊んでいたらしい。

夫はその銃を棚の低い所に置いていた。

その為、娘がその銃を手に取り、父親と遊ぶつもりで近寄り、思わず撃ってしまったのだと、キンは言った。


警察はその娘に話し掛け、テーブルの上に銃を置いてみると、確かにその子は慣れた手つきで銃に触れた。

それは安全装置を外すほどであった。


この事により、ジェームズは事故死と検視官は判定した。

19歳の若い未亡人にほ、多額の生命保険が支払われた。


キンはその支払われた保険金で新車を購入し、その時、キンに車の接客をしたジョーンズという若いセールスマンと親密な関係になった。


2ヶ月も経たない同年5月27日、キンが再び警察に通報する。

ジャクソン郡の森で若い女性の死体を発見したのだった。


その死体はパトリシア・ジョーンズという名前の女性で、キンと急激に親密になったジョーンズの妻だった。


正直、素人の小生ですらきな臭さが拭えないと思える状況であるが、キンが言うには、ボーイフレンドとパトリシアを探しに行くと、死体を見つけたらしい。


警察はキンが殺害したと睨み、パトリシアが撃たれた22口径の銃が、キンの部屋でも同じ22口径の銃が見つかった。

しかも、パトリシアとキンが一緒にいるところも目撃された。


警察はこれらの情況証拠でキンを起訴できると判断し、1960年9月、キンはパトリシア殺しで起訴された。


しかし、弾丸の不一致などで陪審員はキンを無罪とした。


安息する暇もなく、今度は夫殺しですぐにキンは逮捕される。


警察側は2歳半の幼児には、銃の引き金を引く力がないことが証明される。


結局、1962年1月、キンは夫殺しで有罪となり、終身刑を言い渡された。

しかし、弁護側が法的な手続きの面でこの判決に挑戦し、再審を命じられた。


4回目の裁判で、裁判官が誤審を宣言し、キンは釈放された。


1964年9月14日、キンはモーテルで行きずりの男を射殺した容疑で逮捕される。

キンは襲われたので撃つしかなかったと弁明したが、メキシコの裁判官には通用せず、10年の懲役を云い渡された。

しかも、凶器の銃が22口径だったことを聞きつけたアメリカ側の検事が、現地に赴き調査した結果、それはパトリシアを殺害した銃ということが判明する。


その後、キンは刑が不服として控訴審を争うも、逆に
「10年では短過ぎる」
と3年追加されてしまう。


しかし、キンは1969年12月7日に刑務所脱走し、現在、行方知れずである。

生きていれば74歳となるキンは、今頃、どこでとうしてるのだろうか。



∽ 総評 ∽

キンは夫は生命保険目当て、パトリシアは好きだった男の妻であった為、いきずりの男はただの快楽で殺している。

営利殺人、情痴殺人、快楽殺人と、数々の殺害を行った極めて珍しい殺人鬼である。

キンがこれほどの異常者になった理由はよくわからないが、幼少時に何らかの虐待を受けて育ったのかもしれない。

ただ、ここまで私利私欲で突っ走られると、ある意味爽快感すら感じるのは私だけだろうか。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 3人

《犯行期間:1960年3月19日~1964年9月14日》