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ジーネス・フリーマン (アメリカ)
【1940~?】



ジーネス・ジューン・フリーマンは、1940年、アメリカで生まれた。


フリーマンは4歳の時、母親が雇ったベビーシッターの少年に強姦された。

この強姦事件により、フリーマンの精神は完全に歪み、異常な性格になってしまう。


10代になると、日常的に犯罪を犯すようになり、少女感化院に入れられてしまう。

また、フリーマンは強姦された後遺症により、極度の男性嫌悪を抱くようになり、少女感化院に入っていた時に、完全にレズビアンになっていた。


通常、男性が男性に強姦されゲイになったりする事があるが、フリーマンのように異姓に強姦されレズになるのは珍しい。


フリーマンは美人で体格が良く、髪も短かった為、たいへん女性に好かれた。

また、拳には「HATE (憎悪) 」というタトゥーを入れていた。


1961年5月11日、フリーマンはオレゴン州ユージン在住の独身女性ガートルード・ジャクソン (33歳) の家に転がり込む。

ガートルードには2人の子供と、家にはベビーシッターの若い女性も住んでいた。


ガートルードは離婚した直後で、オレゴンに引っ越してきたばかりであったのだが、フリーマンが言葉巧みに誘惑。

ガートルードを完全にレズビアンの道に導き、ガートルードは完全にフリーマンの虜となってしまう。


更にフリーマンは、ベビーシッターの女性とも寝るようになり、ジャクソン家では、フリーマン、ガートルードにベビーシッターの3人によるレズ行為が、頻繁に繰り返されるようになる。

ただ、フリーマンは自分が好きな時に2人を抱けないと怒り、暴力を振るった。


そんな中、ベビーシッターの女性が、フリーマンの異常さに耐えかね逃げ出した。


その数日後、フリーマンはガートルードと2人の子供 (6歳の男の子と4歳の女の子) を連れて車で出掛けた。


向かった先は、オレゴン州の国立公園「クルリッド・リヴァー峡谷」で、到着するとフリーマンは男の子を殴り絞殺。

そして、その子の性器をナイフで切り取り、高さ100mはあろう峡谷の下へ突き落とした。


更に女の子を全裸にすると、生きたまま性器を抉り取り、激痛にもがく女の子を生きたまま峡谷の下へ投げ落とした。

そして、手についた血を

「おいしい」

と言いながら綺麗に舐め、それからガートルードの身体を求めた。


翌日、遺体は観光客により発見され、その子供たちの親が、ガートルードであると断定される。

そして、フリーマンとガートルードは逃走していたが、車の特徴が割れ、早期に2人は逮捕された。


ガートルードは裁判で終身刑が言い渡されるが、7年後に仮釈放されている。

一方、フリーマンは死刑を言い渡されるが、1964年にオレゴン州が死刑を廃止した為、終身刑に減刑された。


そして、1983年に仮釈放されるが、仮釈放中に
「幼い子供を持つ女性と暮らす」
という規定違反した為、再び刑務所に入ることになる。


しかし1985年、再び仮釈放となり、現在の消息は不明である。


1974年11月11日付の地元紙『オレゴニアン』には、フリーマンが獄中で書き綴った手記が掲載されている。


その主張は以下の通り。

「私が殺そうとしたのはガートルード・ジャクソンだった。しかし、彼女が息子を盾にした為に、過って殴り殺してしまった。そして、事件を隠蔽するために、遺体を渓谷に投げ捨てた」



∽ 総評 ∽

フリーマンは子供2人を殺した理由を

「2人の関係を維持するためには子供が邪魔だった」

と述べているが、これは前述した後の手記とは異なる発言であり、しかも、邪魔ならただ突き落とせばいいだけだ。

性器を抉ったりしたのは、完全にフリーマンの殺しの快楽を満たすだけに過ぎず、フリーマンがただそうしたかったに過ぎない。


フリーマンは生粋のサディストで、自分の思い通りにならない事に我慢できず、その為にはなんでも行う異常性が備わっていた。

我が子2人を殺された女性も、子供を見殺しにしたに近いが、それほどフリーマンによる支配が強かったと思われる。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 2人

《犯行期間:1961年5月》