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レイチェル・ウェイド (アメリカ)
【 1990 ~      】



レイチェル・ウェイドは、1990年2月27日、アメリカ・フロリダ州パイネラスラークで生まれた。

ウェイドは16歳で高校を中退し、アップルビーズというレストランでウェイトレスとして働いていた。

ウェイドにはジョシュア・カマチョというボーイフレンドがいたが、しばらくして別れた。

すると、カマチョはすぐにサラ・ルーデマンと付き合い始める。

以降、ウェイドとルーデマンは言い争うようになる。

ウェイドはルーデマンに脅迫的なボイスメールを送った。

すると、ルーデマンも仕返しを始め、互いに嫌がらせを行った。

ルーデマンはウェイドが働いているアップルビーズに現れ、ウェイドを挑発した (と後にウェイドが供述している) 。


2009年4月14日の夜、ウェイドはカマチョを自宅アパートで待っていた。

しかし、ルーデマンはカマチョの部屋で2人で映画を観ていた。

ウェイドはカマチョがルーデマンの家に行っていると思い、犬の散歩がてら家に向かった。

すると、ルーデマンが、
「私の男から離れろ!」
とウェイドに向かって叫んだ (と後にウェイドが供述している) 。

ウェイドはルーデマンに対して恐怖を抱き、昔のボーイフレンド、ハビエルに家に来るよう連絡した。

ウェイドは財布を持ち、台所の引き出しからステーキナイフを取り出した。

午後11時、ウェイドはカマチョに家に到着し、ルーデマンがカマチョとゲームをプレイしているのを目撃する。

ウェイドはカマチョにメッセージを送ると、カマチョは、
「俺はもうお前を好きじゃない。早く家に帰れ」
とメッセージを送った。

すると、ウェイドは

「やだ、彼女が帰るまで待ってる」

と答え、スピーカーフォンで、

「お前とお前のメキシコ人のボーイフレンドを刺すつもりだ」

と叫んだ。

その後、ウェイドはハビエルに家に行き、ルーデマンはウェイドに立ち向かう事に決める。

ルーデマンは友人複数を引き連れハビエルの家に向かい、車に乗るウェイドを殴り車から引きずり出そうとした。

ウェイドはステーキナイフでルーデマンの肩と胸を刺した (しかし後の目撃者によるとウェイドがルーデマンに近づき刺したと証言している) 。

ルーデマンは刺されながらもカマチョに連絡し、カマチョはルーデマンの家に行き父親に事情を話した。

カマチョとルーデマンの父親が現場に向かうが、警察と救急隊が到着する前に出血多量で死亡していた。

警察が到着すると、ウェイドと目撃者に質問を行い、ルーデマンが死亡したとウェイドに説明するとウェイドはその場に泣き崩れた。

ウェイドは逮捕され、殺人で起訴された。

ウェイドの保釈金は50万ドル (約5000万円) に設定され、パイネラス刑務所に収監された。


2010年7月20日、ウェイドの裁判が始まり、その様子はテレビで放映された。

検察官はウェイドの明確な殺意について犯行に至るまでのルーデマンとのやり取りを紹介した。

弁護士はルーデマンの体格がウェイドよりも大きく、また、友人の数の多さに動揺し、恐ろしさのあまり犯行に及んだと主張した。

また、わざわざウェイドの働く店を訪れ、挑発した事と、ウェイドが刺す前に互いに髪を引っ張り合ったと述べた。

だが、ルーデマンとその妹が、ウェイドがルーデマンに近付き刺したと証言した。


同年9月3日、ウェイドは懲役27年が言い渡された。

裁判官がウェイドがルーデマンを殺すつもりで刺したと信じていると述べた。

ウェイドは自衛を主張し控訴した。


2012年2月17日、ウェイドの控訴は棄却された。

このウェイドの事件は多くのメディアに取り上げられている。


最後にルーデマンをウェイドが刺した直後、隣人の家にナイフを投げ入れた後に言った言葉で終わりたいと思います。

「やった」



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2009年4月14日



∽ 総評 ∽

元恋人のガールフレンドを刺して殺害したウェイド。

嫉妬や怨恨による若者の殺人はこれまで何人も紹介しており珍しくはない。

特に若い女性や少女の犯行は大概が嫉妬によるものであり、それは容赦のない犯行が多い。

ただ、この事件のよくわからないのが、ウェイドはカマチョとすでに別れており、その別れた相手が別の女性と交際するのは普通の事だ。

詳細がないのではっきりした事は言えないが、もしかしたらウェイドはカマチョと別れたくなく、別れた原因がルーデマンだと思ったからかもしれない。

ただ、こういった痴情のもつれによる殺人でも普通に死刑や終身刑となるアメリカ司法にしては比較的軽い判決だといえる。