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キース・ジェスパーソン (アメリカ)
【1955~ 】



キース・ハンター・ジェスパーソンは、1955年4月6日、カナダのブリティッシュ・コロンビアのシェルリワックで生まれる。


ジェスパーソンの父親はアルコール中毒で、日頃からジェスパーソンに暴力をふるい虐待した。

その虐待はベルトで殴られたり、感電させられたりといったものだった (ただし、後に父親は虐待の事実を否定している) 。


その後、アメリカ・ワシントンのセーラに移ったが、なかなか周囲に馴染めず孤立し、友達もいなかった。

内向的なジェスパーソンは、1人遊びばかりする子供であった。


シリアルキラーの多くは、幼少時代ジェスパーソンのような内向的な性格だった人物は多い。


ジェスパーソンは5歳から動物虐待を繰り返すようになり、それは長い間続いた。

これも、多くのシリアルキラーにみられる傾向である。


ジェスパーソンは10歳の時、友達を殴る事件を起こす。

ただ、その殴り方が異常で、父親がジェスパーソンを引き離すまで、激しく殴り続けるというものだった。

後にジェスパーソンは、その友達を殺すつもりで殴り続けたと語っている。


それから1年後、ジェスパーソンは湖で泳いでいる時、男の子に抱きつき、意識を失うまで水中に引きずり込んでいる。


その後しばらくして公立プールで、男の子を溺れさせようとした。

救助員がジェスパーソンを引き離すまで、ジェスパーソンは男の子の頭を水中に押し付けていた。


ジェスパーソンはこの段階ですでに猟奇性が開花しており、かなり危険な存在になっていた。


14歳の時には強姦も行っている。


1973年、ジェスパーソンは高校を卒業し、大学に行きたかったが、父親が反対して行けなかった。


1975年、ジェスパーソンは20歳で、ローズ・フッケという名の女性と結婚し、3人の子供に恵まれる。

ジェスパーソンは家族を養うためトラック・ドライバーとして働き出す。


しかし14年後、妻は子供たちを連れて家を出て行く。

ほどなくジェスパーソンは、ワシントンのチェイニーに引っ越し、再び州間トラック・ドライバーとして働き出す。


1990年、ジェスパーソンは正式に離婚するが、ジェスパーソンはスポケインに来る度に
子供たちと時間を過ごし続けている。


同年1月23日、ジェスパーソンはついに最初の殺人を犯す。

ジェスパーソンはポートランドのバーで知り合った、ターニャ・ベネット (23歳) をナンパし、家に彼女を誘う。

ことが終わってからちょっとした事で口論となり、ジェスパーソンは彼女をボコボコに殴り、最後はロープで絞殺する。


ジェスパーソンはアリバイ作りの為、一旦外に飲みに出て、わざわざ出先で幾人かと会話し
それからベネットの死体と持ち物を捨てに帰った。

このアリバイ工作が成功した為か、警察はジェスパーソンではなく、ジョン・ソスノヴスキーと、ラヴァーネ・パヴリネックのカップルが犯人とされ逮捕された。

もちろん犯人はジェスパーソンだが、2人は有罪判決を受け、刑務所送りとなる。


これからジェスパーソンはトラック・ドライバーとして全米を移動しながら殺す相手を探すようになる。


1990年4月12日木曜日夜、カリフォルニアのショッピングセンター駐車場で、ジェスパーソンは幼児を連れている女性に接近した。

ジェスパーソンは親切に話しかけ、女性と子供はジェスパーソンの車に乗る。

そして、ジェスパーソンは彼女に関係を迫ると、彼女は拒否する。

怒り出したジェスパーソンは彼女の頭を押さえつけ、強引に口淫し、射精してそのまま彼女の首を折ろうとした。

しかし、彼女の首を折ることができず、また子供も殺したくないので、結局、ジェスパーソンは女性と子供をショッピングセンターに戻した。


その後、ジェスパーソンは逮捕されるが、必死の弁明により釈放される。


1992年8月30日、カリフォルニア州ブライズで、ジェーン・ドゥ (身元不明の女性の呼称。男性の場合は「ジョン・ドゥ」と呼ぶ) を強姦し殺害。

しかし、ジェスパーソンが捕まってからその名前がクローディアであったと判明している。


1ヵ月後、カリフォルニア州チューロックでシンシア・リン・ローズ (32歳) を強姦した後、殺害。


ジェスパーソンはオレゴン州セイラムに移動し、売春婦のローリー・アン・ペントランド (26歳) を殺害。


後にジェファーソンは、行為の後に料金を2倍に請求し、払わなければ警察を呼ぶと脅してきた為、殺したと述べている。


1993年7月、ジェスパーソンは再びカリフォルニア州に移動し、サンタ・ネッラでジェーン・ドゥを殺害。


やがてジェスパーソンは、オレゴン州の新聞社に一連の事件の犯人が自分であることを明かす手紙を送りつける。

その手紙には署名が一切なく、代わりに「ハッピー・フェイス (スマイル・マーク) 」の絵が描いてあり、その為、謎の犯人は『ハッピー・フェイス・キラー』と名付けられた。

この犯行声明によって、前述した誤認逮捕されたカップルの2人の冤罪が確定し、釈放されている。


1994年9月、フロリダ州に移動したジェスパーソンは、スーザンという名前の女性を殺害。


1995年1月、ジェファーソンはアンジェラ・サーブライズ (21歳) を強姦し殺害。


更に、ジェーン・ドゥを凌辱の末、殺害。


1995年3月10日、ジェスパーソンはワシントン州ワシューガルに移動し、ジュリー・アン・ウィニンガム (41歳) を絞め殺した。


しかし、彼女がジェスパーソンに唯一関連があった犠牲者だったことで、警察がジェスパーソンに行き着く。


そして、1995年3月30日、ジェスパーソンはウィニンガム殺害で逮捕された。


ジェスパーソンは1週間、警察の取調べを受けたが、完全に黙秘を貫き通し、結果、警察はジェスパーソンを逮捕する根拠がないとし、釈放してしまう。


だがその後、ジェスパーソンはもう逃げられないと悟り、2回自殺を図り、2度目の自殺未遂の後、出頭した。


出頭後、ジェスパーソンは160人は殺したと主張したが、確認がとれたのは、カリフォルニア州、フロリダ州、ネブラスカ州、オレゴン州、ワシントン州、ワイオミング州での8人だけだった。

160人は多過ぎだと思うが、トラックでアメリカ中を横断したジェスパーソンにしては、8人は確かに少ない気はする。


現在、ジェスパーソンはオレゴン州の刑務所で終身刑で服役中である。



∽ 総評 ∽

ジェスパーソンは全米をトラックで往き来し、殺人して回った。


ジェスパーソンがシリアルキラーになったのは、明らかに幼少時の虐待が原因だろう。

ただ、ジェスパーソンの場合、通常、シリアルキラーの幼少時にみられる動物虐待行動を、実際の人間にも行った。

殺人には至ってないものの、本気で殺害しようと考えていたので、その異常さはなかなかのものである。


ジェスパーソンが『ハッピー・フェイス・キラー』と呼ばれた理由は、新聞社にハッピー・フェイスが描いてある手紙を送ったからであるが、なぜ、ジェスパーソンがハッピー・フェイスを描いたかはわからない。


そもそも、ハッピー・フェイスのルーツは、1963年公開の映画『バイバイ・バーディー』の作中で、「ハッピー・フェイスをしてごらん」という歌と共に使用されたアニメーションからであった (それ以前から清涼飲料「クールエイド」のラベルに使用されていたという説もある) 。


もしかしたら、自分の犯している凶悪な犯罪を、少しでも紛らわす為に、ハッピー・フェイスを使用したのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 8人
(本人は160人と自供)
《犯行期間:1990年1月23日~1995年3月10日》