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ペドロ・ロペス (エクアドル・コロンビア・ペルー)
【1948~?】



ペドロ・アロンソ・ロペスは、1948年10月8日、エクアドルで売春婦の母親の7番目の子供として生まれた (最終的に兄弟は13人となっている) 。


ロペスはわずか8歳にして、実の妹と近親相姦しており、すでに人格が破綻していた。

これがばれて家を追い出されたロペスは、ホームレスとなる。


このホームレスの時に、変質者によってレイプされてしまう。

そしてロペスは、自分が犯されることに関して異常なまでに恐れるようになる。


しかし、とある犯罪で逮捕されたロペスは、刑務所内で受刑者4人に輪姦されてしまう。

この輪姦した4人達に凄まじい殺意を覚えたロペスは、出所後、18歳になった時にレイプした4人に復讐を始める。


4人のうち3人までは捜しだし殺害に成功する。

この殺人で殺しに自信つけたロペスは、完全にタガが外れ、その後、連続殺人に勤しむようになる。


ロペス自身が8歳の時に子供の心を無くしたのだから、同じくらいの年齢の少女にも同じ辛い思いをさせなければならない、という無茶苦茶な理論に基づき、欲望のままに昼間の市場を徘徊し、少女を物色する。


ロペスはその後、3年に及ぶ殺人行脚を始める。


ロペスが狙ったのは主にインディオの8歳から12歳の少女だった。

インディオの少女を狙った理由は、警察の関心が低く、真剣に捜査しないので、逮捕されずらいからであった。


ロペスは先住民への差別ゆえに野放しになり、好きなだけ殺人を行う事ができたのである。


ペルーに移動したロペスだが、そのレイプ殺人は止まる事を知らず、犠牲者は日に日に増えていった。


但し、一度だけドジを踏んだことがある。

それはペルー北部で犯行を繰り返していた時のことだった。

9歳の少女を連れ去ろうとしているところを見られ、インディオの部族にリンチされたのだ。

あわや生き埋めというところでアメリカ人の女性宣教師が割って入り、彼らを説得して地元警察に引き渡した。

ところが、ペルー警察はなぜかペドロを裁かなかった。

国外追放処分だけで済ませてしまったのだ。


正直、この時生き埋めになっていれば、これ以上犠牲者を出さずに済んだ。

また、ペルー警察の対応も問題しかない。

この時、きちっと裁いていれば、その後の被害者が出ることはなかったのである。

アメリカ人女性宣教師も、まさか生き埋めになっている男性が、殺人の限りを尽くしている人間だったとは夢にも思わなかっただろう。

もし、この女性宣教師が救わなければ、これ以上被害はでなかったというのは、何とも皮肉である。


第3の地、エクアドルに渡ったロペスは、相変わらず犯行を繰り返した。

「エクアドルの娘が一番好きだ。親切で礼儀正しく、最も純潔だ。彼女たちはコロンビア人のように人を疑うことを知らないんだ」

そう発言したロペスは、マーケットを練り歩いて獲物を物色した。

一旦狙いを定めると、何日でも粘って機会を窺うという念の入れようだった。


そして、少女が1人になるのを確かめると、母親の友人と偽って信用させて、人気のない場所に連れ去り、強姦した後に絞殺するのだ。

「死に行く様を見るのは興奮する。瞳の中の光が消える瞬間が堪らない」

「夜には決して殺さない。何故なら顔が見えないからだ」

そう語ったロペスは遺体を埋めて、また次の獲物を物色する。

毎日これを繰り返した。


それぞれの国の警察は、インディオの少女が続々と行方不明になっている事態を認識していた。

しかし、それは白人の奴隷売買グループによる犯行だと思っており、まさかたった1人の犯行だとは思いも寄らなかったのだ。

ペルーでロペスが裁かれなかったのはその為だと思われる。


1980年4月、 アンバトを洪水が襲った際、4人の少女の遺体が川の岸辺に流れ着き、ようやく奴隷売買グループの犯行ではないことが発覚したのである。


そして数日後、エクアドル中央部の街アンバトで、プラザ・ロサ・マーケットで働くカルヴィナ・ポヴェダの娘マリア (12) を、ロペスは隙を見て連れ去る。

辺りを探し回ったカルヴィナは、やがてマリアがロペスと手をつないで歩いているのを見つけた。

カルヴィナは走り寄り、大声で助けを求めた。

かくして数人のインディオに取り押さえられたロペスは、警察に引き渡され、ついにロペスは逮捕されたのだ。


ロペスは当初は殺人への関与を否定していたが、間もなく罠に掛けられて自供を余儀なくされた。

囚人に扮した捜査官がロペスに近づき、その遍歴を聞き出したのだ。


ロペスは、コロンビアで100人、ペルーで100人、エクアドルでは110人殺したと語った。

但し、実際に警察が発見した死体は53体であった。

その為、正式な数は不明だが、発見された遺体が53体なので、最低でも53人ということになる。

ロペスは捜査には協力的で、死体を埋めた場所を詳しく話した。


エクアドルで裁判にかけられたロペスは、死刑制度を廃止した同国で殺人罪に課せられる最高刑、終身刑の判決を受け服役した。

しかし、エクアドルの法律では長期刑は最高で16年までと規定されている為、1994年8月31日、に刑務所から釈放され、コロンビアに引き渡された。

終身刑が存在するのに、最高長期刑が16年という理解できない制度である。


ボゴタ病院の精神医学的な検査をされ、正気ではないとされた。


しかし1998年、ロペスは正気であると宣言され、わずか50ドルの保釈される。


2002年、新たな殺人についてコロンビア当局がロペスの再逮捕状を出した。

しかし、上記保釈以来、ロペスの行方は消え、現在まで誰もロペスが死んでいるか生きているのか解らない。


『アンデスの怪物』と呼ばれた男は現在、どこでどのように過ごしているのだろうか。



∽ 総評 ∽

小生が高校生の時、深夜の番組で当時の歴代殺人数ベスト10を紹介していたのだが、このロペスが1位であった。

その時の殺人数は、確か645人くらいであったのだが、高校生ながら驚いたのを覚えている。


本当に300人殺したのであれば、それはわずか3年間での出来事であり、週2のペースで殺人を行っていたことになる。


ロペスがなぜここまでの殺人鬼になったかよくわからない。

8歳で妹と近親相姦しているが、近親相姦も異常だが、8歳で性的欲求を抱いた早熟さも異常であった。


ロペスはよく殺人数において、個人のワースト記録保持者と言われるが、確実な53人以外はなんとも言えない。

ヘンリー・リー・ルーカスは300人以上、アルバート・フィッシュも400人以上と言われているが、もちろんその全てを立証されているわけではない。


ロペスの場合、殺人を犯した場所が南米ということで、犯罪しやすい環境だったことが、ここまでの殺害数に至ったと思われる。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★★
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★★
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 53人
(本人は310人と自供)
《犯行期間:1966年~1980年》