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ロバート・ピックトン (カナダ)
【1949~ 】



ロバート・ウィリアム・ピックトンは1949年10月24日、カナダのブリティッシュコロンビア州ポートコキットラムの郊外にある農場・養豚場の次男として誕生した。

父親は影の薄い男で、母親が主に子育てを行った。

子どもたちは小さい頃から豚の世話を手伝わされ、学校にもろくに通わせてもらえなかった。

ピックトンは豚の屠殺現場も日常的に目撃しており、

「1人になりたい時は、内臓をくり抜かれた巨大な豚の中に隠れるんだ」

と周囲に語っていたという。

なお、屠殺が日常的だったとはいえ、ピックトンのペットの子牛を両親が勝手に殺した時は、精神的にかなりショックを受け、大人になってからもピックトンはこの事を恨んでいたという。


ピックトンの学校の成績は芳しくなく、小学2年生を2回も落第するほど酷いものだった。

学校では休み時間も与えられず、少しでも追いつくようにと特別支援教育を受けさせられていたが、成績が良くなることはなく、高校の途中でとうとう退学してしまった。

知恵遅れに近いものがあったという説もあるほど、ピックトンは物覚えが悪かった。

学校の女子たちは、農場や養豚場の臭いが染み付いたピックトンを不潔だと嫌い避けていた。

ピックトンは母親から
「風呂に入れ」
と毎日ガミガミ言われたことで、風呂やシャワーに恐怖心を覚えるようになった為、滅多に体を洗わず、異様な臭いがしていたという。


大人になってからはますます不衛生になり、肥料の臭いや動物などの死臭、泥臭い悪臭が身体に染み付き、服も汚れたものばかり着ていた。

その為、誰も近よることができないほどで、もちろん彼女など出来るはずもなかった。

このようにピックトンは母親に恐怖心を抱きながら育った。

母親は精神的に異常なところがあり、免許を取りたてだった弟デビッドが14歳の少年を轢いてしまった時、被害者を勝手に助からないと判断し、道路横の泥沼に投げ込んだ事件があった。

少年の靴が現場に残っていた為、翌日、遺体は発見されたのだが、司法解剖の結果、死因は溺死だったことが判明。

デビッドはすぐに逮捕され少年院に入れられたが、母親は罪を逃れた。

ピックトンは、
「助からないのならば、人間であれ迷わず殺す」
母親を、ますます恐れるようになり、希望していた軍への入隊を母親に反対された時も、泣く泣く従うなど、さらに母親に従順になっていった。

母親に脅えるピックトンは、精神を病んでいったとされ、屠殺した豚の陰茎でベルトを作るなど、気味悪いこともするようになったと周囲は証言している。

このピックトンの幼少の過程は、多くのシリアルキラーにもあるパターンで、母親の異常性により、精神が歪んでしまう。

以前掲載したショウクロスしかり、セルズしかりである。


1977年、父親が老衰で死に、その後、まもなくして母親を癌で亡くしたピックトンは、広大な敷地の農場・養豚場を兄弟と共に相続した。

タイミングよく、新しい町・ポートコキットラムが開け、ピックトンやその兄弟たちは敷地の一部を売り、大儲けをした。

一生遊んで暮らせるほどの大金を手にしたロバートだったが、母親から家業を継ぐようにと強要されていた為、弟と共に農場・養豚場を営み、今までと変わらず豚、牛などを飼育し、屠殺しては契約した業者に卸していた。

大金持ちになったピックトンのもとには、
「友達だから助けてくれ」
と言い、金の無心に訪れるものが後を絶たなかった。

見え透いた嘘でもピックトンは信じ、同情し気前よく金を与えた。

疑うことを知らないピックトンから金をせしめようと、ホームレスや麻薬常用者、娼婦などが集まってきた。

ピックトンは彼らのことを「友達」と呼ぶようになり、農場・養豚場の手伝いをさせ、金を与えた。

彼らがよく行く悪名高きバンクーバー市のダウンタウン・イーストサイドにも繰り出すようになり、クルージングしては薬物依存症の娼婦をピックアップするようになっていった。


1990年、ピックトンはダウンタウン・イーストサイドで、薬物中毒者のジーナ・ヒューストンという女性に出会った。

ジーナは麻薬を買うための金をせしめる為に、ピックトンの心を上手く操った。

ピックトンはジーナのことを愛するようになり、プロポーズまでした。

しかし、結婚する気のないジーナはのらりくらりとかわし、傷心のピックトンは娼婦遊びをエスカレートさせたとも言われている。


1997年3月22日、ピックトンは娼婦や薬物中毒者、アルコール中毒者で溢れかえるダウンタウン・イーストサイドをピックアップトラックでクルージングし、31歳の通称スティッチという名の娼婦を拾った。

スティッチは2人の子供を持つ母親だったが、麻薬依存のため体を売って金を稼いでいた。

ピックトンはスティッチを家に連れ込んだが、スティッチは荒れ果てた室内、テーブルの上に置かれた出刃包丁などを見て警戒。

手錠をかけようと襲い掛かったピックトンともみ合いになり、両者ともに深い傷を負った。

スティッチは外に逃げ出すことに成功し、通りがかった車に助けられ最寄の病院に運び込まれた。

ピックトンも治療を受ける為、同じ病院を訪れたのだが、傷の負い方を不審に思った病院スタッフが、ピックトンのポケットに手錠の鍵があるのを発見。

スティッチの手首にかけられた手錠とマッチしたことから、RCMP (王立カナダ国家憲兵/カナダ国家警察) が捜査に乗り出し、ピックトンを殺人未遂罪などで起訴した。

しかし、スティッチが薬物依存症の娼婦だったことから
「証言に信用性がない」
として起訴は取り下げられてしまった。

もしこの時、ピックトンが刑務所送りとなっていれば、多くの女性の命が助かったのは間違いない。

ピックトンがスティッチを襲った1997年は、ダウンタウン・イーストサイドで、相次ぐ娼婦の失踪が問題になった。

薬物中毒だが家族と連絡を取り続けていた23歳のマーニー・フレイという女性も行方不明になり、家族はダウンタウン・イーストサイドの警察に助けを求めた。

捜査の結果、マーニーは生活保護費も受け取っておらず、常連だったシェルターにも長い間顔を出していなかったことが判明。

家族はマーニーが事件に巻き込まれた可能性があるかもしれないと告げられた。


1998年になると、さらに多くの女性が同地区から突然消えるようになった。

しかし、その多くが薬物中毒、アルコール中毒などの問題ある女性たちだった為、
「どこか別の場所に移動しただけだろう」
と警察は真剣に受け止めていなかった。

しかし、外回りを重点的にしていた警官の一人が、
「この1年あまりで、30人以上の女性たちが突然行方不明になっている」
ことを上司に訴えたことと、娼婦たちが
「問題だ」
と騒ぎ出したため、警察は事件性があると考えることになる。

多くのシリアルキラー達が、連続殺人を続けられる理由が、相手に娼婦を選ぶ人物が多い事が挙げられる。

ただ、シリアルキラー達が娼婦を選ぶ理由は、殺人をばれたくないからということではなく、ただ単に狙いやすく獲物をすぐ物色できるからに他ならない。


警察はまず、1978年から1994年までの間、ダウンタウン・イーストサイドから突然行方不明になり、発見されていない女性の数の調査を開始。

すると、その条件に当てはまる女性はほぼいないことが判明した。

だが1995年以降は、次々と女性が消え始めたことも分かり、娼婦をターゲットにした連続殺人事件が起こっているのかもしれないと緊張が走る。

しかし、警察の上層は、証拠も遺体もない事件に対し、正式な捜査を行うことを渋った。


1998年4月に突然消えたセーラ・ド・フリースの友人は
「警察には頼れない」
とポスターを作り情報提供を呼びかけた。


ある夏の日、警察のもとにビルと名乗る男性から電話が入った。
「農場に住むピックトンのもとで家政婦をしている友人がいる。そのピックトンの家には、女性の服や私物、IDが沢山あるようだ。また服には血がついているものも多い。気味の悪い男だし、調べた方がいい」
と。

警察はすぐに家政婦に連絡したが、警察は女性が証言したくないと拒否していることから
「家宅捜査はできない」
と何の行動もとらなかった。

このように逮捕を逃れ続けていたピックトンだが、警察は
「容疑者の一人」
としてピックトンに目をつけていた。

ダウンタウン・イーストサイド娼婦連続殺人事件の容疑者として、娼婦への暴行罪や殺人罪などで逮捕された者をリストアップしていたからである。


1999年2月、ピックトンは愛するジーナから、
「リハビリ施設で知り合った、元ヘロイン依存症のアンディ・ベルウッドを助けてあげて」
と頼まれ、農場の雑用を任せるようになった。

2人は気が合い、アンディはピックトンに深く感謝しながら真面目に働いた。

ある夜、アンディが寝泊りしているトレーラーにピックトンが、
「娼婦を買いに行こう」
と誘いにやってきた。

アンディが断ると、ピックトンは手にしていた袋から手錠とベルト、紐を取り出し、そこに娼婦がいると見立て、後ろから絞め殺す仕草をした。

驚いたアンディの表情を見て、ピックトンは無言でトレーラーに乗り、走り去ったという。


翌日、アンディはピックトンのもとで働くほかの男たちからリンチをくらい逃げ出した。

この時アンディは、ピックトンがダウンタウン・イーストサイドの娼婦殺しの犯人だと確信していたそうだが、通報すれば復讐されると脅えたため、警察に連絡はしなかった。

またピックトンはアンディと同時期に、ジーナから紹介されたリン・エリングセンを事務スタッフとして雇い、家に居候させた。

リンは重度の薬物依存者でピックトンはリンに気前よく金を渡した。


同年3月20日、ピックトンはリンを連れてダウンタウン・イーストサイドに繰り出し娼婦を拾った。

娼婦はリンを見て警戒することなく車に乗りロバートの家までついてきた。

帰宅後、リンは自室にいたが、悲鳴のような声を聞き不安になりピックトンたちを探した。

2人は家にはおらず、外をみると、屠殺小屋にライトがついているのが確認できた。

嫌な予感がしながらも小屋のドアを開けると、天井にかけられたフックに死んだ娼婦がぶらさがっているのが、目に飛び込んできた。

血塗れのピックトンに捕まえられたリンは、
「アタシは何も言わない。麻薬できる金が欲しいだけだから、麻薬が大事だから何も言わない」
と約束。

なおこのとき殺害された娼婦はジョージーナ・パピンであった可能性が高いと見られている。

このようにピックトンはボロを出していたが、アンディもリンも、ピックトンのことを恐れ、また、ピックトンに面倒をみてもらっているという恩を感じていたことから、警察にタレこむことはしなかった。


ダウンタウン・イーストサイドから忽然と消える女性はどんどん増え、1999年5月、地区に住む者たちが
「捜査をしてくれ」
「探してくれ」
とデモを行うまでになった。

地元メディアも無視できなくなったため特集を組み、アメリカの人気公開捜査番組『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』にも取り上げ、犯人には賞金までかけた。

カナダ当局は極秘に捜査をしていることは伏せ、
「事件だという証拠はない」
「殺人されたという証拠も証言も何もない」
とし、慎重になるように呼びかけ続けた。


1999年夏、バンクーバー警察はピックトンが娼婦殺しの可能性が高いという垂れ込み電話を受けた。

電話をした男性は、リンから娼婦殺しの現場を見たと打ち明けられたのだが、警察は男性もリンも重度の薬物依存症であるため
「信用できない」
とためらった。

RCMPは話しを聞くに値すると判断したが、緊張から薬を打ってきたらしい男の話は飛び飛びで信用できなかった。

また、警察はピックトンの元を離れたリンを探し出してRCMPに呼び出したが、ピックトンから脅迫されていたリンは
「何も見てない。知らない」
とヒステリックに叫んだ。

警察は何か変だと感じたもののそれ以上は追及せず、ピックトンの農場・養豚場を家宅捜査することもしなかった。

もし、この時、警察が動いていたら、ロバートは2年早く逮捕されていたことになった可能性もある。

こういう話しを聞くと、いくら忙しいといえども、もう少し真剣に取り組んで欲しいと思う。

やる気がないように感じられる警察だが、まったく何もしなかったわけではない。

ピックトンの農場・養豚場を監視するようにはなった。

ピックトンは警察の抜き打ち訪問には応じず、2000年1月19日、ジーナを連れて自ら警察に出向いた。

ピックトンは協力的で、警察を家に招き入れることもした。

その結果、警察はピックトンに不審な点はないと断定。

他の容疑者を逮捕するなど、捜査は脱線していった。

他の容疑者を拘束しても、ピックトンが実際犯人である為、被害女性は増える一方であった。

警察はお手上げ状態で、世間は警察のことを無能だと非難した。


2002年初め、警察は再びロバートに関する垂れ込みを受けた。

以前、ピックトンのもとで働いていた男が、ダウンタウン・イーストサイドの娼婦殺しに関する情報提供すれば金がもらえると聞き、ピックトンが銃などの武器を所持していることを通報したのだ。

連続殺人事件と関係あるかは不明だったが、警察は武器の違法所持容疑で、法的に家宅捜査できることになった。そして2月5日、とうとう家宅捜査に踏み切った。

ピックトンの農場・養豚場を家宅捜査した結果、行方不明になっている女性たちのIDや処方箋薬、そして大量の服が次々発見された。

冷凍庫の中からはバケツに押し込められた女性の頭や手足も見つかり、DNA検査の結果、行方不明になっていた娼婦のセリーナ・アボッツウェイ、アンドリア・ジョーズバリーだと断定された。

警察は重機やフラットコンベアなどを使い、広大な敷地全てをくまなく調べ、畜舎や農場、屠殺小屋、全てを壊し、骨や歯のかけらを見つけようと躍起になった。

「豚に人間の肉らしきものを与えているのを見た」

という証言がある他、養豚場から多くの骨のかけらが見つかっており、遺体は豚や農地にいる虫などに与えていたと断定。

遺体の肉をミンチにしてソーセージにし、友人や農場に訪れる者に配ったという証言もあり、カナダだけでなく世界中を震撼させた。

農場からは大量の骨が発見され、DNA検査の結果、行方不明になっていた娼婦のモナ・リー・ウィルソン、ブレンダ・アン・ウフル、ジョージーナ・パピン、マーニー・リン・フレイであることが判明した。

遺留品から警察はもう20人の女性を殺害したとし、合計して26人を殺害した罪で起訴。

遺体の一部が発見された6件と、追加された20件とは別々に裁判が行われた。

裁判にはリンたちも出廷し娼婦を殺した現場を見たと証言した。

裁判でピックトンは無罪を主張した。

しかし、遺体や遺骨が発見されたという事実や、ピックトンが面倒を見ていた人たちが、
「娼婦を殺すと言っていた」
「ヘロイン中毒の娼婦の首を絞め、血を全て出し、内臓も出してやるんだと言っていた」
と次々に証言。

逮捕されたばかりのピックトンに同房者として近づき、心を開かせた覆面刑事は、
「ピックトンは、『オレは49人殺した。本当は、くぎりがいい50人殺したかったのに、ドジだった』と自慢げに明かした」
と証言した。

ピックトンは擦り寄ってくれる人たちを簡単に信用し、何でもべらべらと話した。

そのことが、裁判で命取りになったのだ。


2007年12月9日、ピックトンは第二級殺人罪で有罪となった。

第一級でなかったのは、陪審員が
「計画的ではなかった」
と判断したからだった。

最終的にピックトンは終身刑に処されたが、警察はさらに多くの女性を殺したという証拠が見つかったとしており、被害者の数は今後も増え続けるものと見られている。

ピックトンは今現在も無罪を主張しており、

「殺したのは俺じゃない」

と訴え続けている。

ピックトンの取り巻きが殺人や後処理に加担していたという可能性もあるが、証拠がないため罪には問われていない。

ピックトンは自分ひとりだけでやったのではないとして、刑を不服としているが、

「薬物依存は苦しいものだろう?死しかない苦しいものなんだろう?だから内臓を出して楽にしてやるんだ」

と語ったという証言もあることから、弱った動物を殺すような感覚で、薬物依存でボロボロになっている娼婦たちを殺していったのだと見られている。

1995年から2001年の6年間に、49人殺したとされるピックトン。

カナダ当局は、ピックトンが犯した全ての殺人の立証をし、起訴しようと今なお捜査を続けている。


最後にそんなピックトンの名言をここで紹介しよう。

「菜食主義者の気がしれない。俺は肉しか食わない。肉は何が好きかって?もちろん豚肉さ」



∽ 総評 ∽

「カナダ史上最悪の連続殺人鬼」と言われたピックトン。

ピックトンがこれほどの殺人鬼になった要因の1つには、間違いなく母親の影響が挙げられる。

ピックトンの母親は明らかに精神異常者であり、ピックトンはそんな母親を畏怖し、その存在に怯えていた。

以前も掲載したが、多くのシリアルキラーは、善くも悪くも母親の影響を受けている人物が多く、ピックトンもその影響が顕著であった。

ただ、お金をせびりにやってくる人達にせがまれ、気前良くお金を上げたり、心を開いた相手に犯行を言うなど、実はピックトンは素直で正直者だったのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 49人

《犯行期間:1995年~2001年》