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アーサー・ショウクロス (アメリカ)
【1945~2008】



アーサー・ショウクロスは、1945年6月6日、アメリカ・メイン州キタリーで生まれた。


ショウクロスは幼児の頃から空想癖があり、内向的な性格だった。

ショウクロスは弟や妹が生まれてからは夜尿症 (おねしょ) 、言語発達の遅れ、家出などの問題行動が多く見られるようになった。


ショウクロス9歳の時、両親が不和となり、それによる家庭が破綻し、それと同時にショウクロスの人生も大きく傾いていく。 
 
そもそも両親が不和となったきっかけは、軍人であったショウクロスの父が、赴任先のオーストラリアで妻子を持っているのが発覚した為だった。

ショウクロスの父はいわゆる重婚しており、家庭を2つ持っていたのだった。

この一件により、母親は嫌悪する夫の血を引くショウクロス達に対して愛情を捨て去り、目の敵にするようになる。

母親はショウクロスを虐待するようになり、
「おまえなんかいらない子なんだよ!」
とショウクロスを罵倒した。

父親は父親で、たまに帰って来ては、
「お前さえいなきゃこっちで結婚することもなかったんだ」
と言って溜息をつき、ショウクロスを睨みつけた。


そんな時、ショウクロスはわずか9歳で、叔母に性のオモチャにされる。

9歳で性の快感を覚えたショウクロスは、自ら進んで叔母に抱かれに行くようになった (しかし叔母は後にこの事を否定している) 。

しかし、それが母親の知るところとなり、母親から更に激しい折檻を受けることになる。

夫との性生活がない腹いせか、その折檻は日増しにエスカレートしていき、それはショウクロスの肛門を箒で犯すといった過激な行為になっていく。

しかも、母親は息子に自分の生殖器を嘗めさせ、快感に浸るという異常ぶりであった。

そんな状況下で、精神が完全に崩壊したショウクロスは、今度は獣姦にのめりこむようになる。

家畜の山羊や羊を襲っては、犯しながらナイフで切ったり突いたりして快感を得た。


ある日、ショウクロスが学校から帰る途中、話しかけてくる男がいた。

男に道を尋ねられ、ショウクロスは説明したが、男は
「ちょっとよくわからないな」
と首をひねり、
「わかりやすいところまで、同乗して案内してくれないか」
と言った。

ショウクロスが車に乗り込むと、男は豹変した。

男は人気のない道でショウクロスの首を絞め、下着を剥ぎ取ると押さえつけてレイプしながら、男は声をあげて笑った。

ショウクロスはその事を後年、

「俺の上で大口をあけてげらげら笑ってた。よだれが顔にぼとぼと落ちてきて、俺は気が狂いそうだった」

と語っている。

男は欲望を遂げると、ショウクロスを路上に置き去りにして消えた。

出血した体を引きずって、ショウクロスは歩いて家に帰らねばならなかった。

家には母親がいたが、彼女は息子の顔が腫れあがり、シャツもズボンもぐしゃぐしゃにされているのを見ても、なんら気にしなかった。

その時の母親についてショウクロスは、

「家に帰ると、母さんがキッチンにいた。俺は傷ついてたし、慰めが欲しかったから『ママ、ぼく、酷いことされたんだ』って小さな声で言ってみたんだ。そしたらあの女、『そうね。おまえを見たら誰だってムカつくだろうからね』って言ったよ。そしてそのまま振り向きもせずに、キッシュを焼いていやがった」

と、その時の母親について語っている。

しかし、ショウクロスはこのレイプ事件以来、性的嗜好が完全に一変してしまった。

暴力的な性行為でなければ満足できなくなってしまったのである。


18歳で結婚し、一児をもうけるが、ショウクロスは女遊びにのめりこみ、やがて家庭は崩壊し、離婚。


その後、再婚したが、ショウクロスは自分に新婚生活を楽しむ暇も与えず、ベトナムに従軍した。

1968年のことであった。
 
 兵士たちは初めて『前線のない戦場』を体験し、ベトコンの兵士だけではなく、非戦闘員であるはずの女子供からもゲリラ攻撃を受けるアメリカ兵。

かたときも油断ならない緊張感のある日々が続き、不安はデマを呼び、隊内を飛び交って膨れ上がったデマがまた新たな不安と緊張を生む、という悪循環に陥る。

結果、ベトナム戦争はそれまでの戦争とは比べものにならないほど多くの『戦争神経症患者 (PTSD) 』を生みだした (第二次世界大戦からすでに20年近く経ち、冷戦は続いていたといっても、平和な日々に馴れてしまい、戦争離れも原因にあるだろう) 。


そして帰国後の精神破綻は、とくに『ベトナム後遺症の典型例』とされた。


そんな中、ショウクロスはベトナム戦争に参加する事になった。

正気の人間では心因性外傷を受け、ノイローゼになるようなベトナム戦争は、すでに精神が破綻しているショウクロスにとっては、格好の場であった。

ショウクロスは、戦争という名の殺人を行い、しかもこの戦争で、カニバリズム (食人) に目覚めた。

ショウクロスは、2人のベトナム人少女を捕らえて木に縛り付け、1人が見ているところでもう1人の少女の首を切断し、腿の肉を切り取り食べた。

それを見させられたもう1人の少女は、発狂寸前になり、その光景を見て楽しんだ。

ショウクロスとってベトナム戦争は、戦争という事を理由に殺人を好きなだけ犯せる、最高の場所だったと言えよう。
 

そんな最高の場所からショウクロスは1969年に帰国する。

ベトナム戦争の後遺症により、幻覚や悪夢に悩まされるようになったショウクロスは、戦争前に再婚した妻との結婚生活を楽しむどころではなかった。

ショウクロスは精神科医にかかりカウンセリングを受けた。


1970年後半から、ショウクロスは放火や窃盗、婦女暴行を犯し始めるようになる。

ショウクロスは自分が働いていた製紙工場や、チーズ工場にも放火した。

その罪で逮捕され、ショウクロスは懲役18ヶ月から5年という判決を受ける。

そして、刑務所の中で3人の黒人囚にレイプされた。

ショウクロスは怪我した看守を偶然助け、これが功績として認められ、刑期は大幅に短縮されて2年で仮釈放となった。


1972年6月4日、ショウクロスはその日もまた、幻聴とフラッシュバックと闘っていた。

ふと自分を呼ぶ声がするので振りかえると、近所に住む少年がこちらに駆けてくるところだった。

釣り場でよく一緒になる男の子で、当時10歳で、不思議とショウクロスになついていた。

ショウクロスは少しだけ少年の相手をし、その後は

「家に帰れ」

と言ったが、少年は帰る素振りを見せず彼についていった。

イライラが頂点に達しつつあったショウクロスは何度も帰れと言いながら、1人になれる場所を探して歩いていった。

自然と足は森に向かう。
しかしそれでも少年はショウクロスに着いて来た。

その時、背後で水のはねる「バシャッ」 という音が聞こえた。

それは少年が水溜りを飛び越え損なった音に過ぎないのだが、ショウクロスにとって水のはねる音が、ベトナムで何度も聞いた「水の中に潜んだゲリラどもが立ち上がり、こちらに銃を向ける音」に聞こえた。

それからはほとんど本能的にショウクロスの体は動いた。

ショウクロスは振り向きざま、10歳の少年の首を殴りつけ、頚骨をへし折って殺した。

その後、少年の死体を森に埋めて帰宅する。


3日後、ショウクロスは森に戻り、少年の死体を掘り起こし、腐乱した死体の首をアーミー・ナイフで切り離した。

内臓を取り出し、性器と睾丸を切り取って口に含み食べた。

しかも、首のなくなった少年を屍姦した。


4ヵ月後、釣りに出かけたショウクロスは8歳の少女が溺れているのを発見した。

女の子を引き上げると、瀕死でぜいぜいと喘いでいる様子にはかまわず、ショウクロスは少女をレイプした。

そして口の中に泥を押し込み、少女を窒息死させる。

ショウクロスは少女の死体も少年同様解体し、性器や乳房を切り取り食べた。


しかし、事件当日に現場付近でアイスクリームを食べていたショウクロスの姿が目撃されていたことにより、ショウクロスが捜査線上に浮上。

尋問の末、ショウクロスは罪を認める。

だが、これほど残虐な事件にもかかわらず、ショウクロスはわずか25年の懲役刑に留まった。

この判決は地域住民と警察を激怒させたが、覆すことはできず、ショウクロスは服役することになる。


ショウクロスは15年の刑期を終え、仮釈放される。

この時、ショウクロスはすでに41歳になっていた。
 
 
1988年3月、ロチェスター北西部で27歳の売春婦が殺され川に浮いているのが発見された。

ショウクロスは売春婦を殺して死姦することを好むようになる。


同年9月、28歳の売春婦がジェネシー川に死体となって浮かんだ。


1989年10月、同じくジェネシー川で59歳の女性浮浪者の死体が発見される。

その一週間後、25歳の売春婦が絞殺死体で発見された。
殴打され、肛門を犯されていた。


同年11月初旬、5人目の犠牲者である売春婦が行方不明リストに載る。


同年11月11日、22歳の売春婦が死体で発見される。同じく肛門を犯された形跡があった。


同年11月23日、知的障害がある30歳の女性が、ジェネシー川で死体で発見された。


同年11月27日、29歳の売春婦が殺害される。


その年の暮れには、更に3人の売春婦がショウクロスの手にかかり、行方不明者リストに名を連ねることになる。

ショウクロスは犯行を重ねながらも、精神的には混乱の極みにいた。

この頃、ショウクロスは

『俺はいったいどうなってしまうんだろう』

と思う事があり、涙が止まらなくなったこともあったという。


最後の犠牲者である34歳の娼婦を撃ち殺した後、内臓や性器を食べた。

それを食べて自慰行為に耽っていると、ふと我に返り、バックミラーに血まみれの自分の顔が映っているのが見えた。

ショウクロスは自分が完全に駄目になってしまったことを今更ながら悟った。
 
 
1990年1月、遺体と性交しに現場に戻ったショウクロスを、警察のヘリコプターが発見した。

ショウクロスは拘束され尋問を受け、ついには全てを認め、自供を始めた。


ショウクロスは13人の女性を殺害したが、その内10件の殺人により、懲役250年の刑を宣告された。

ショウクロス自身も、釈放されたらまた殺人を続けてしまうから、終身刑にして欲しいと言っていた。

ショウクロスの家族は面会を拒絶し、一切の接触を断った。

独房の中からショウクロスは何百通となく母親に手紙を出したというが、返事が来たことはなかった。

幼少の頃から虐待され、散々酷い目に遭わされた母親でも、ショウクロスにとって母親は母親だったのだろう。


2008年11月10日、ショウクロスは獄死する。

63歳であった。


最後にショウクロスのこんな名言で締め括りたいと思います。

「殺人に理由が必要なのか?」



∽ 総評 ∽

ショウクロスはかなり悲惨な幼少を過ごした為、シリアルキラーに変貌してしまったのだが、母親の愛の欠如が一番の要因だった。

多くのシリアルキラーは、良い意味でも悪い意味でも母親の影響を受けている人物が多い。

虐待はもちろんダメだが、溺愛も良くない。

ショウクロスは、食人・屍姦等、あらゆる異常行為を全て行った生粋のシリアルキラーで、そういう意味では特殊な部類に入る。

しかも、その行為の残虐性は群を抜いており、殺人数はそれほどではないが、個人的にはショウクロスはかなり上位の猟奇殺人者と言える。



【総評】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★★★☆
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 13人
(他ベトナムで多数殺害)
犯行期間:1968年、1972年6月4日~1990年1月》