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カール・パンズラム (アメリカ)
【 1891 ~ 1930 】



1891年、ミネソタ州でドイツ系移民の子として生まれ、貧しい農場の一家で育った。

8歳の頃から犯罪者としての素質が現れ、12歳から住居不法侵入や窃盗で2度、少年院に送られており、パンズラムは反抗的な態度をとった為、厳しい体罰が受けた。

少年院を出所後、パンズラムは実家には戻らず、放浪生活を送っていた。

そして、14歳のときホームレス達から、集団強姦に遭う。

その屈辱的経験から、「力こそ正義」という思考になり、世界に向けた怒りと憎しみを募らせていった。

16歳で年齢を偽って陸軍に入隊するが、入隊早々に命令不服従を繰り返して営倉送りとなる。

そして、衣服類や金の襟ボタンを盗んで脱走しようとした容疑により入隊からわずか数カ月で軍法会議へ送致され、陸軍長官に3年の懲役を言い渡されている。

自分の人生がことごとく上手くいってないことに、パンズラムは社会に対する強い憎しみを更に抱くようになる。

集団レイプは同情の余地はあるが、住居侵入や窃盗、陸軍除隊は全て自分のせいであり、それらに関してはさすがにパンズラムを擁護できない。

その後は、窃盗・強盗や放火、強姦などでその都度逮捕・投獄される。

しかし、反抗的だったパンズラムは看守から殴打や放水の虐待を受け、脱獄も繰り返した。


1918年に14年の懲役を残したまま脱獄して以降、偽名を使って南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカを転々とした。


パンズラムが初めて殺人に手を染めたのは1920年で、ニューヨークで強盗のため水夫を撃っては海に捨て、3週間でちょうど10人を殺した。

その後アンゴラに渡り、ルアンダで11歳の少年を強姦した上、殺害。

また、ワニ狩りの為と称して8人の地元民を雇ってワニの住む川に出かけた。

しかし、目的は最初からワニ狩りなんかではなく、パンズラムは8人の地元民を射殺。

8人の死体の肛門を次々とレイプし、川に投げ込みワニに食わせた。


1922年、アメリカに戻ったパンズラムは、早速少年1人を強姦の上、撲殺。

そして、強盗の為に邪魔な男1人を射殺。

更に、少年1人を強姦し、ベルトで絞殺した。


1928年に武装強盗で逮捕されるが、本人の自白では、その間、数え切れないほどの強盗・強姦・殺人を繰り返したらしく

「1000人殺した」

と豪語した。

さすがに1000人は言い過ぎだと思うが、パンズラムが殺人を始めた1920~1928年の8年間で、月3人殺したとして年間で36人。

8年で288人となり、いってもせいぜいこのくらいだと思われる。

しかし、裁判ではその1000人殺しは立証されず、窃盗罪での懲役25年のみの刑が言い渡された。

その後、パンズラムは刑務所内で1人の看守と知り合い、その看守はパンズラムに親身に接した。

筆記用具をパンズラムに与えて、
「自分の人生を書いてみてはどうだ?」
と勧めた。

パンズラムはこの時、

「人生で初めて人間らしい扱いを受けた」

と言って涙を流したという。

正直、筆記用具を渡されたくらいで何を感動してるんだと思うかもしれないが、パンズラムの人生は、そんな「当たり前」のことすら一切ない悲惨な人生だったのだろう。

パンズラムの一連の事件内容は、この時の本人の手記によるもので、もし看守がパンズラムにこの事を勧めていなかったら、ここまで詳しいパンズラムの人生を知ることはできなかったであろう。

しかし、投獄された数ヶ月後、刑務所内で看守を殴り殺して再逮捕される (パンズラムに筆記用具を与えた看守とは異なる別の看守) 。

別の刑務所に移送されてパンズラムは、そこで死刑判決を受けることになる。

別の刑務所に移ったパンズラムだったが、筆記用具をもらった看守とは、文通は続いた。


1930年、絞首刑により死去。

享年39歳。

死刑執行直前、執行人に最後の言葉を尋ねられたパンズラムは、

「さっさとしろよ田舎者め!お前がもたもたしてる間に俺なら10人は殺せるぞ!」

だったという。

ちなみに、前述したパンズラムも手記は、文通を続けた看守によって、1970年に出版されている。



∽ 総評 ∽

パンズラムは幼少から社会の自分に対する仕打ちを恨んでおり、また憎悪を隠せない自分自身に対する嫌悪から自棄的な犯罪に及んだ。

嗜好的に快楽殺人を行っていたわけではなく、またしばしば襲った男を強姦したが、そもそもパンズラムは生まれついての同性愛ではなかった。

より多くの人間を殺そうと貯水池に毒を流したり、米英間に戦争を引き起こすためイギリス軍艦を爆破しようと企てたこともあったほど、過激派の一面も持っている。

パンズラムがこれほどの歪んだ精神を持った理由はよくわからないが、天性の異常者と思われる。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 22人
(自称1000人)
《犯行期間:1920年~1928年》