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ジム・ジョーンズ (アメリカ)
【1931~1978】



本名ジェイムス・ウォレン・ジョーンズは、1931年5月31日、アメリカ・インディアナ州で生まれる。


決して裕福ではない貧しい家に生まれたジョーンズは『KKK(クー・クラックス・クラン)』のメンバーだった父親が、ジョーンズ12歳の時に家族を捨てる。

以後、ジョーンズは母の手1つで育てられる。

ジョーンズは幼少の頃より宗教が好きで、友達とも遊ばずに、1人でキリスト教の説教師ごっこをして遊んでいた。

ジョーンズが宗教にはまった理由は、元々生まれた町が聖書地帯で、ファンダメンタリスト (聖書をまんま信じる宗派) が多い地域だった為である。

ジョーンズは父親もいない貧しい生活から現実逃避する為に、宗教にのめり込んだのかもしれない。


ジョーンズ8歳の時には『聖書』からの引用をしながら話せるほどの狂信者なっていた。

将来、牧師になろうと考えていたジョーンズは、熱心に勉強に励んでいたが、裏では野良犬や野良猫を拾ってきては殺し、埋葬し、葬式遊びをしていた。

動物虐待は多くのシリアルキラーの幼少時にみられる典型的なパターンだが、ジョーンズが多少違う所は、葬式をすることを主としており、犬や猫を殺したのはその為の前座に過ぎなかった事である。


そして、17歳の時、宣教師の娘と結婚したジョーンズは、自身の宗教活動の為、牧師の道をあっさり捨て、インディナアポリスで自身の新興宗教「人民寺院」を立ち上げる。

ジョーンズが拠点としたインディナアポリスは、貧しい黒人たちが多く住んでいた。

ジョーンズは運営資金を捻出する為に、猿を育てて売ることで何とか維持していた。

当時のジョーンズは非常に評判が良く、まだ黒人差別が色濃く残っていた時代に、差別なく奉仕していた。

その為、心ない人間には「くろんぼ好き」と罵られ、家には石や火炎瓶を投げられたりした。

この時の屈辱的な体験が、後のジョーンズの凶行に結びついたのは間違いないだろう。

早口かつパワフルな口調で捲し立てるジョーンズの説教は評判を呼び、信者は増え続けた。

また、ジョーンズは自身の「パワー」なる力で、どんな病気も治せると豪語し、診療治療を行うことで、信者獲得に繋がった。

経済的にも潤ってきたジョーンズは、実子のスティーヴンの他にアジア系2人と黒人1人の孤児を養子に迎えた。

また、アフリカ系アメリカ人への差別に反対する運動をしたことから、アフリカ系の信者も多く獲得した。


1960年代初頭のアメリカは、反戦デモと公民権運動で沸き返っていた。

多くの黒人信者を抱えるジョーンズは、必然的にキング牧師やマルコムX等から影響を受ける。

その教義は次第にファンダメンタリズムから離れ始め、差別のないユートピアを目指す共産主義へと接近して行ったのである。


そしてら1962年のキューバ危機以降、ジョーンズは核戦争を異常なまでに畏怖するようになった。

やがてジョーンズのもとに神のお告げが下る。

それは

「近いうちに核戦争で全人類が死滅するだろう。但し、ブラジルのベロ・オリゾンテと、カリフォルニア州ユキアにいる者だけは生き残る」

というものだった。


そして、予言通り1965年にカリフォルニア州ユキアに拠点を移動する。

このカリフォルニアへの移動が、ジョーンズ率いる『人民寺院』を狂気へと導く事となる。

ジョーンズはドラッグに手を出し、依存するようになってから、その言動は次第に過激になって行く。

ある時、創世記のカインとアベルの一節を朗読していたジョーンズは突然、聖書を投げ棄てて、聴衆に向って訴えかけた。

「もしもアダムとイブが最初の人類で、カインとアベルしか子供がいなかったとしたら、ノドの地の住人たちはいったい何処から来たというのだ? あなたたちはそこに黙って座って、こんな出鱈目を読んでいていいのか? 私はでっち上げの神など信じない。空の上に天国などありはしない。我々が暮らしているこの世こそ、唯一の地獄なのだ」

とても聖職者とは思えない発言である。

ジョーンズの教えはますます異常なものになって行き、夫婦の信者には性行為を禁じた。

そうすれば、自分のハーレムに加えることができるし、家庭がなくなれば財産を手放し易くなる。

こうして何人もの信者から財産を巻き上げ、ジョーンズは完全に私腹を肥やしていく。

そして、教団内では日常的に信者に対する拷問や児童虐待が行われ、今やジョーンズの欲を満たすシステムへと変貌していった。

これは宗教ではよくある話しで、信者が集まり次第に大規模なものになってくると、教祖は私利私欲に走り、自身の私欲を満たす為の行動に走ることが多い。

自分の為に多くの人間が集まってくれば、自分が神になったような錯覚を抱くのだろう。

気持ちはわからないでもないが、自分の力量というものをしっかり把握しないと、いずれ破滅の道を歩む事になる。

それで大体の教祖はダメになっていく。

教団内での暴走が脱退者などにより外部に漏れ、警察当局に知られそうになると、ジョーンズは信者たちと共にアメリカを脱出。


1977年、南米の小国、ガイアナ共和国のジャングルを切り開き、『ジョーンズ・タウン』を建造する。

マスコミ批判も過熱し始め、ジョーンズは次第に追い詰められていく。

この頃からジョーンズは脱退者を恐れ、武装集団を組織して見張らせた。

ジョーンズは自らを「父なる神」と呼ばせ、そう呼ばなかった信者を、厳しい拷問にかけた。

ムチ打ちや水責めは当然で「ストレッチング」と呼ばれる拷問が頻繁に行われた。

この「ストレッチング」というのは、犠牲者の手足を4人がかりで引っ張るというもので、犠牲者はあまりの激痛に失神するほどだった。


1978年11月14日、マスコミの報道や家族会の要請を受け、議員が報道記者たちを従えて「ジョーンズ・タウン」を視察に訪れた。

特に目立った問題はなく、事なきを得たかに思われた。

ところが、夜になると脱会希望者が記者たちに願い出た。
「どうか助けて下さい」
と。


翌日にそのことをジョーンズに詰め寄ると、彼は酷く傷ついたようだった。

「私は打ちのめされた。もう死ぬかも知れない」

一行がジョーンズタウンを後にしようとすると、1人の男がトラックに飛び乗った。

「俺も連れて行ってくれ。ここから出たいんだ」

しかし、その男はジョーンズの指令を受けた刺客だった。

空港には武装した一団が待ち受けていた。

武装集団が議員たちを銃撃し、議員率いる視察団は全員皆殺しとなる。

そしてジョーンズは、もう逃げ場はないと判断し、信者に

「もうおしまいだ。間もなくアメリカの海兵隊がパラシュートで降りて来る。我々は皆殺しにされるのだ。ならばその前に潔く毒杯を仰ごうではないか。これは自殺ではない。革命的な行動なのだ」

と説き、信者たちにはバリウムで割って飲みやすくしたシアン化物『デス・カクテル』なる飲み物を配った。

赤子たちは注射を打たれた。逃げようとする者は銃殺された。

信者が全員死んだ事を確認すると、ジョーンズは頭を銃で撃ち自殺した。

この集団自殺で死んだ信者は913人 (その内子供は276人、ジョーンズを入れると914人) 、集団自殺としては、歴史上最大の数である。



∽ 総評 ∽

ジョーンズの凶行はそれほど珍しいことではない。

教祖というのは前述したとおり、権力を握ることによりお金、性欲、全てが自由となり、暴走するのが定番で、それは古今東西問わずだ。

ジョーンズの場合、教団を視察にきた議員以下5名はやむなく殺したが、『マンソン・ファミリー』や『KKK』のように、そもそも他人に牙を向く事はなく、自殺も教団内での話しであった。

ジョーンズの『人民寺院』は、その自殺数も相俟って歴代でもかなり有名な宗教として、色々な意味で後世に影響を与えている。

ジョーンズの失敗は、大規模になっていった『人民寺院』を、完全に私物化しようとしたことである。

ジョーンズからすれば、自分で起こした宗教を私物化して何が悪いと、思うかもしれないが、『人民寺院』くらい大規模になってしまった場合、私物化してしまうと、必ず反発も起こるし脱退や逃亡する信者が出てくる。

そうなると、世間にその異常性がバレてしまうので、もし、教祖として君臨したいのであれば、難しいかもしれないが、なるべく私利私欲を押し殺さないと厳しいだろう。

ただ、それはあくまで教祖としての話であり、行った事は鬼畜以外の何物でもないが。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★★
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★★
・特異性 ★★★★★★★★★★
・殺人数 5人
(自殺数913人)
《犯行期間:1978年11月14日》