image












デイヴィッド・バーコウィッツ (アメリカ)
【1953~ 】



デイヴィッド・リチャード・バーコウィッツは、1953年6月1日、アメリカ・ニューヨーク州で生まれた。


バーコウィッツは母親が父親と別居中に、不倫で生まれた子供で、多くのシリアルキラーにみられる私生児として、すぐに里子に出される。

この出生の経緯が、幼いバーコウィッツにはトラウマとなった。


幼少の頃から問題児で、学習意欲もなく、窃盗や放火癖があり、放火の数は実に2000件にも及んだ。


性格は暗く、人と接する事が極端に苦手で、女性にモテたことももちろんなかった。

その為、女性に対する憎悪が人一倍バーコウィッツの心に蓄積されていった。


女性と接するのは自分次第だし、モテるモテないは見た目も重要であるが、それが全てではない。

あえて言う必要もないが、このバーコヴィッツの女性嫌悪の考え方は完全な自分勝手であった。


里親の母が死に、父が再婚したことで、どんどん里親たちと疎遠になり、1971年に陸軍に入隊する。

しかもこの時期、ベトナム戦争に派遣されることが多かった。

しかし、バーコウィッツはベトナム戦争に行くのを拒否して、アメリカ国内の基地である韓国米軍基地に勤務となった。


その後、1974年に名誉除隊し、郵便局員として働き始める。


そして、ついにバーコウィッツは凶行に走る。


バーコウィッツは夜な夜な車で街を徘徊しては、目をつけた女性にそっと近づき、車内から44口径の拳銃やショットガンで狙い撃ちした。


当初はマスコミから「44キラー」と呼ばれていたが、バーコウィッツはマスコミや警察に自ら「サムの息子」と名乗る手紙を送ってから、そう呼ばれるようになった。


なぜ、バーコウィッツが「サムの息子」と名乗ったかというと、バーコウィッツは近所に住むラブラドールの鳴き声がうるさくて、飼い主に無記名で警告の手紙を何通も出していた。

その飼い主の名前が「サム・カー」という名前だったことから、サムの犬=サムの息子、と名乗るようになったのだ。


こうしてバーコウィッツは、1976~77年にかけて、6人を殺害し (女性5名に男性1名。男性が1人いるのはカップルを襲った為) 、8人に重軽傷を負わせ、ニューヨークを震撼させた。


その後、バーコウィッツは逮捕されたが、精神鑑定を受けるも異常なしとされた。

本人も全ての犯行を認めた為、懲役365年を言い渡される (ニューヨーク州には死刑がない) 。


現在、バーコウィッツは模範囚として服役中である。


最後にバーコウィッツのこんな言葉で締めくくりたいと思います。

「殺人鬼を育てているんだ。お楽しみに。」



∽ 総評 ∽

バーコウィッツは嫌悪していた女性を次々殺したが、その動機がいまいちよくわからない。

金品を奪うこともなかったし、殺害した女性を強姦することもなかった。

男性シリアルキラーの多くは、どんな理由にせよそのほとんどが女性を強姦している。

しかし、バーコヴィッツにはそれがない。

これは男性シリアルキラーでは非常に珍しい。


しかも、カニバリズム (食人) や、ネクロフィリア (屍姦) もないという純粋な殺害のみの殺人であった。


また、わざわざ「サムの息子」と名乗り、劇場型犯罪のような演出をしたが、バーコウィッツはそこまで演出にこだわっている様子はなかった。

では純粋に殺人だけを楽しんでいたのかというと、バーコウィッツは殺害に銃を使っているので、それはあまり考えられない (多くのシリアルキラーは、殺害に快楽を覚える為、一瞬で殺し終わる銃をあまり使用しない傾向にある) 。


ただ、ニューヨークでは何故かあまり連続殺人というのが起きていなかった為、そんな時に起こったバーコウィッツの凶行は、当時のニューヨークを震撼させ、ニューヨーク市民を恐怖のドン底に陥れたのは間違いない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 6人
(負傷者8人)
《犯行期間:1976年~1977年》