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H・H・ホームズ (アメリカ)
【1860~1896】



本名ハーマン・ウェブスター・マジェットは、1860年にアメリカ・ニューハンプシャー州で郵便局長の息子として生まれた。


ホームズは18歳の時、資産家の娘と結婚する。

その妻の財力で医師免許を取得すると、妻を捨ててニューヨークに移住、そこで開業医を始めた。

その後、妻とは正式に離婚してないにもかかわらすわ、他の女性と結婚する。

そして、ホームズは保険金詐欺に手を出すが発覚してしまった為、逃げるようにその場を去った。


ホームズは1888年にイリノイ州シカゴに移住する (1886年という説もある) 。

この頃からホームズは『H・H・ホームズ』という偽名を名乗るようになる。

ホームズは地元のドラッグストアの経営者の夫人に薬剤師として雇われるが、しばらくするとこの女性は謎の失踪を遂げる。

ホームズがドラッグストアを乗っとる為に殺害した可能性が高いが、証拠がなく発覚することはなかった。

ホームズはドラッグストアの経営を引き継ぎ、「謎の秘薬」なるものを売り出し、店は大繁盛する。

大金持ちとなったホームズは、ドラッグストアの向かいに巨大なゴシック調のホテルを建設、それは地元住民から「ホームズ城」と呼ばれるほど豪華なものであった。


ホテルが完成した2年後に、シカゴ万博が開催され、ホテルも大いに繁盛する。

しかし、宿泊した多くの客が失踪する事件が起こる。

また、宿泊客以外にもホームズの美人秘書やホームズの愛人もこの頃失踪する。

また、ホームズの5人の子供の内、3人が行方不明になった。

これらの失踪者たちはもちろんホームズの手によって殺されたのである (明らかに殺された可能性は高いが、証拠自体はない) 。


ホームズの悪行が発覚したのは、ホームズは保険金目当てに、ホテルを設計した男性と子供2人を殺害したのだが、その事から足がついたのである。

ホームズのホテルを調査した警察は大いに驚く。

全ての部屋が迷路のような秘密の通路で繋がっており、覗き穴はもちろんスライドする扉も壁に仕掛けられていた。

密閉してガスを送り込み、殺害できる部屋などもあった。

ある部屋は室内が全て石綿で覆われており、その中で被害者に火を点けて焼き殺せるようになっていた。

また、別の部屋は床が落とし穴になっており、地下室に落下するようになっていた。

その地下室には拷問器具と、外科手術用具が山のように置いてあった。

死体を処理する為の硫酸で満たされた樽も常備されていた。

逮捕されたホームズは、これまで27人の殺害を自供する。

しかし、警察の捜査によると、遺品や死体の数から最低200人以上は殺害したとみられているが、正式な数は結局不明であった。


裁判でホームズは自分で自分の弁護士となり、詐欺師で鍛えた話術を駆使したが、死刑が言い渡された。


1896年5月7日、絞首刑により刑が執行された。

享年35歳。

余談だが、フランスの作家アラン・モネスティエは、自著『世界犯罪者列伝』の中で、ホームズのことを取り上げ、次のように述べている。

「殺人を企業化したホームズに比べれば、我がフランスの犯罪者はもちろん、いかなる殺人鬼も彼の足元にも及ばない」



∽ 総評 ∽

『殺人ホテル』と呼ばれ、宿泊客を次々葬ったホームズ。

ドラマや映画に出てきそうなホームズの凶行は実際に起こった話しであり、むしろ映画のほうがホームズの事件を題材していることが多い。

この数十年後に、ナチスドイツがユダヤ人に行った暴挙を、まるで1人で体現したかのようなホームズの凶行は、今ほど情報が発達していないこの時代ですら世間に衝撃を与えた。

フランスの作家の言葉を借りるまでもなく、殺人をスポーツのような娯楽にしたホームズに比べれば、他の快楽殺人者なんか可愛らしいレベルかもしれない。

また、ホームズは殺人の証拠を限りなく残さななかった為、実際何人殺害したのかわからない。

しかも、発覚したのは殺人ではなく、保険金目当てであり、もし、それを行っていなかった場合、発覚しなかったと考えると、非常に恐ろしい限りである。

ホームズは拷問部屋や殺害方法にこだわった生粋のサディストにして快楽殺人鬼であった。

ホテルの宿泊客を無差別に殺害していた時、ホームズは一体何を思って行っていたのだろうか。

前述したように、ホームズはまるでサッカーボールを蹴って遊ぶような感覚で、殺人を楽しんでいたのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★★
・残虐度 ★★★★★★★★★★
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★★★★★
・殺人数 27人
(調査では200人以上)
《犯行期間:1888年~1896年》