ジェラルド・ギャレゴ (アメリカ)
【 1946 ~ 2002 】
シャーリーン・ギャレゴ (アメリカ)
【 1956 ~ 】
ジェラルド・ギャレゴは1946年、シャーリーンは1956年にそれぞれ生まれる。
ギャレゴの父親は犯罪者で、警察官2人を殺害し、その罪で死刑になったほどであった。
父親が犯罪者でも大抵の子供が真っ当に生きているだろうが、父親が犯罪者の場合、子供にそれが遺伝することも稀にあり、ギャレゴは典型的に受け継いだことになる。
その為、ギャレゴは母子家庭で育ったが、子供の頃から犯罪気質が現れ、13歳で6歳の女の子をレイプする。
逮捕されるもまだ13歳ということで釈放された。
そして、18歳の時に結婚。
その妻との間に1人娘が誕生するが、ギャレゴは生まれた時から、娘を犯したくてしょうがない衝動にかられた。
普通、自分の娘に対しては性の対象として発情することはない。
この時点でギャレゴの異常性がすでに現れていた。
結局、ギャレゴは娘が8歳になると、ついに我慢できなくなり、娘をレイプする (ギャレゴにしては8歳まで我慢したほうなのかもしれない) 。
以来、毎日幼い娘をレイプし続けた。
当然、家庭生活は破綻する。
ギャレゴは離婚するが、ハンサムなギャレゴは女性に不自由することなく、32歳までに実に7回も結婚している。
その7回目の相手が、シャーリーン・ウィリアムズであった。
しかし、その7回の結婚の間、ギャレゴはレイプ事件を起こし続け、レイプ、SM、近親相姦などの罪状により27の逮捕状が出ていた。
その時、出会ったのがシャーリーンだった。
シャーリーン・ウィリアムズは、父親が全国展開するスーパーマーケットの副社長という裕福な家庭に生まれた。
非常に聡明な女の子で、ヴァイオリンの名手として将来を嘱望されていた。
しかし、高校を卒業するとグレ始め、男漁りに精を出し、ドラッグと酒に溺れるようになる。
才色兼備のシャーリーンが急に変わった理由はよくわからないが、忙しくてほとんど家にいない父親が原因であると思われる。
「父性の欠如」が男というものに非常に興味を持ったのではないだろうか。
そんなシャーリーンがギャレゴと出会ったのは、1977年9月のことで、友人の紹介で出会った相手がギャレゴだった。
シャーリーンはギャレゴの激しい性行為の虜になる。
多分、その激しさから、シャーリーンは欠落していた「父性」を見出だしたのであろう。
ギャレゴはシャーリーンの身体を飽きるまで味わい尽くすと、今度は性奴隷を調教して、複数による性交をしようと提案する。
普通なら何言ってるんだという話しになるが、ギャレゴの虜になり、しかも荒んだ生活をしていたシャーリーンは、そのギャレゴの意見に2つ返事で賛成する。
シャーリーンはギャレゴ好みの10代女性を、言葉巧みに誘い出し、拉致・監禁。
まずはギャレゴがレイプし、その後、シャーリーンが加わり3人でのプレイが始まる。
シャーリーンが加わっことにより、プレイは異常をきたし、拷問とレイプで散々責められた上、ディルドー (女性が装着する擬似男性器) を装着したシャーリーンにも散々犯された。
思う存分堪能すると、ギャレゴは女性を射殺するのであった。
その後、2人は同様に次々と性奴隷を調達してはSMプレイで調教。
飽きると殺すということを繰り返した。
2人は1980年7月までに8人の女性を殺害。
しかし、同年11月1日の深夜、2人のカップルを拉致し、車に連れ込んだ所をカップルの友人の男性にナンバーを確認され通報される。
車はシャーリーン名義で登録されていた為、すぐに身元が割れる。
翌朝、警察はシャーリーンのもとを訪れるが、シャーリーンは知らぬ存ぜぬで押し通した為、警察はやむを得ず引き下がる。
しかし、間もなくカップルの遺体が発見され、警察はシャーリーンを重要参考人として連行しようとするが、シャーリーンとギャレゴはすでに逃亡していた。
11月17日、シャーリーンの両親から通報を受けた警察は、郵便局に両親から送られた500ドルの為替手形を取りに来たシャーリーンを逮捕する。
シャーリーンは最後は両親に裏切られたのである。
観念したシャーリーンは司法取引に応じ、全てを自供。
シャーリーンは16年8ヶ月の実刑に留まり、1997年7月に釈放された。
ギャレゴは死刑を宣告され、執行されぬまま2002年7月18日に直腸ガンにより死去、56歳であった。
∽ 総評 ∽
本件の2人のように殺人カップルや夫婦というのは意外に多く、その多くが散々強姦された挙げ句、殺されるというパターンが多い。
大概が男主体で行われることが多いが、本件のシャーリーンのように対等かもしくは女性主体で行われるのは稀である。
シャーリーンは可憐で美しい女性であったが、何故か急にグレてただのアバズレへと変貌した。
理由はよくわからないが、裕福な家庭ならではの退屈な日々に飽きていたのであろう。
虐待された家庭も危険だし、裕福な家庭も危険なんだとつくづく思わされる。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 10人
《犯行期間:1977年~1980年11月1日》
コメント
コメント一覧 (4)
写真からも気持ち悪さが漂ってます。スケベをこじらせるとろくでもないの典型ですね。
娘さん可哀相すぎる。
外国人のハンサムというのは日本と少し感覚違いますからね。
画像の選択いいですね。
司法取引は理不尽ですね。
どっちも主犯なのに、一方は主犯で一方は主犯じゃないという釈然としない終わらせ方になる。
何なんですかね。
どっちも同じことやってるのならどっちも主犯として裁き一緒に処刑すればいいのに。
2人以上いるとやはり比べるのでしょう。
1人が直接殺して1人が見ているだけなら死刑と終身刑という風に。
ただ、仰る通り釈然としないですね。
単体で考えたらかなりの凶悪振りなのに更なる凶悪さにより軽減されてしまう。