image












チャールズ・ホイットマン (アメリカ)
【1941~1966】



1941年6月24日、アメリカ・フロリダ州レイク・ワースで生まれた。


ごく普通の中流家庭に生まれたホイットマンは、ごく普通の成長を遂げ、子供の頃から頭が良く、成績は優秀だった。


父親は極端に厳しい人物で、ホイットマンに何事も全て完璧であることを望み、その考えを押し付けた。

この事がホイットマンの精神や行動に大きな影響を及ぼす。


両親、特に父親が優秀な家庭に生まれた子供は、父親から厳しく育てられる事が多い。

そして、その期待に応えられない子供は、父親からのプレッシャーもあり、次第に追い詰められていく。

その結果、子供が親を殺したり、他人を傷付けたりすることはよくあることで、日本では1980年に起きた『神奈川県金属バット両親殺害事件』が特に有名である。


テキサス大学に進学したホイットマンは、恋人ができ、彼女と学生結婚をした。

しかし、結婚をして家庭を持ったことが悲劇の始まりだった。


学生結婚という事で、就職できるわけでもなく、妻を養う為にバイトを始め、学業と仕事を両立させるようになる。


大学の授業にも出なければならない。

当然、勉強する時間も必要だ。

妻にも貧しい思いをさせるわけにはいかない。

次第にホイットマンは精神的にも肉体的にも追い詰められていく。


そして、更にバイトを増やしたホイットマンは、今度は成績が落ちてくる。


子供の頃から成績優秀だったホイットマンにとって、成績が落ちるという事は、相当ショックだった。

ホイットマンは寝る時間を割いて、無理なスケジュールで生活を続けていった。


もちろん、バイト程度の収入では、いくら働いても裕福になるわけはない。

成績もどんどん落ちていく。

肉体的限界も近くなり、ストレスも溜まっていく。


そして、1966年、ホイットマンの両親が離婚する。

この頃からホイットマンは、慢性的な激しい頭痛に悩まされるようになり、カウンセリングを受けるようになる。


そして、1966年7月31日、ついにホイットマンに限界の日がやってくる。


この日の深夜、ホイットマンは遺書を書くと、ベッドルームで眠っていた妻と母親を射殺。

2人を殺した理由は、殺人犯の妻と母親という苦難を背負わせたくないというホイットマンの勝手な気遣いだった (それなら殺人自体起こさなきゃいいという話しになるが) 。


翌日の朝、拳銃やライフル、散弾銃など持てるだけの銃器の入ったバッグを持って、ホイットマンはテキサス大学に向かった。


ホイットマンは大学構内にある、テキサス・タワーの展望台に登った。

そして、いきなり受付嬢をライフルで殴り殺すと、観光客に向かって銃を乱射した。


展望台に邪魔する者が誰もいなくなると、ホイットマンは90メートルの展望台から、下に向かってライフルや散弾銃を撃ちまくった。

標的は誰でもよく、ホイットマンの目に留まった者の全員標的にされた。

書店で立ち読みしている大学生も射殺。

自転車に乗って通りがかった学生も射殺。

妊婦も射殺。


警察はスナイパーの乗った飛行機を出動させるも失敗。

排水口から侵入した警察官が、ホイットマン射殺に成功し、ようやく事件は終演する。


ホイットマンが銃撃を初めて1時間半後のことだった。

結局、ホイットマンはその間に15人を射殺し (後に亡くなった1名と、胎児を除く) 、31名の負傷者を出した。


この事件は、1999年に起きた『コロンバイン高校銃乱射事件』が起きるまで、最悪の学校銃乱射事件として、30年以上記録を保持した。


ホイットマンの凶行は、当時、相当な衝撃を与え、『アメリカ・バイオレンス』という映画にも紹介されている。

ホイットマンの銃の腕前は相当なものだった。

その腕前は、軍に入隊していた時 (当時、アメリカはまだ兵役の義務があったが、ホイットマンは自主的に入隊している) 、1級狙撃手に輝くほどであった。


ホイットマンは遺書を残しているが、父親に対する憎悪の念が生々しく記されていた。

父親と弟宛の遺書も残されていたようだが、何故か現在になっても公表されていない。


また、遺書の中に

「自分が死んだ後、解剖してくれ」

とあり、実際解剖が行われると、脳の視床下部にくるみ大の腫瘍が発見された。

この腫瘍が脳の扁桃核を圧迫し、暴力衝動を誘発していたのではないかと言われてるが、実際の所どれほど影響したのかわかっていない。


確かに脳に打撃を受けたり、脳の病気で人格が変わったりすることもあるのは事実だ。

ただ、脳腫瘍になった人全員が人格が変わるということはないので、ホイットマンの場合、病気にかかった場所がたまたま悪かったと思われる。


90メートルもの高所から撃たれた人達は、なぜ撃たれたのかわからないまま死んでいっただろう。

ただ、じわじわといたぶられながら殺されたわけではないので、それに比べればまだましなのかもしれない。



∽ 総評 ∽

このホイットマンの凶行は、当時、世間に相当な衝撃を与え、後にホイットマンに憧れて犯罪を犯す者も現れるほどだった。

高さ90mの上から的確に狙撃する様は、ある意味「かっこいい」と思う人間も多々存在し、一種のヒーローのように扱われる場合もある。

しかし、やった事はただの「人殺し」に過ぎず、それを英雄視するというのは、かなり危険な思考である。


ホイットマンの凶行は、もしかしたら病気のせいかもしれないが、もしそうでないとするならば、身勝手この上ない。

学生結婚が大変なのは誰にだってわかることだし、勉強と仕事の両立が大変なのも誰だってわかることだ。

そんな大変な行為に自ら進んで足を踏み入れたにも関わらず、それを維持できない為に、家族と他人を殺す。

正直、ホイットマンには一辺の情状酌量の余地はない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 17人
(妻母親を含む。他31負傷)
《犯行期間:1966年7月31日》