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リチャード・ラミレス (アメリカ)
【1960~2013】



1960年2月29日、アメリカ・カリフォルニア州グリーンブリーでラミレスは生まれた。

ラミレスはメキシコ移民の鉄道会社勤務の父ジュリアンと母メルセデスとの間の7人兄弟の末っ子として生まれた。

ラミレス家は厳格なカトリック教徒で、幼いラミレスも両親と一緒にミサに通っていた。


そんなラミレスは、9歳の頃から万引きや窃盗などの軽犯罪に手を染め始め、14歳になった頃にはマリファナ吸引を始めるなど、非行が目立つようになった。

当時の友人たちの話では、ラミレスは幼い頃からすでに一匹狼として行動することが多く、地元の少年ギャングのグループに加わることはなかった。

早くからヘヴィメタルに傾倒する一方、教会の聖書勉強会で悪魔に魅せられるようになり、悪魔関連の書物を読み漁るようになったのもこの頃だった。


ラミレスは地元のジェファーソン高校へ入学したものの、何事に対しても無気力無関心で、ほとんど授業に出席せず、学校行事にも一切参加しなかった。


ラミレスは17歳で高校を中退したのち、マリファナ不法所持でエル・パソ警察に3度逮捕され、1982年には保護観察処分を受けたが、ほどなく姿をくらまし、2度とエル・パソに戻ることはなかった。


1982年、サンフランシスコに住む、自分より年上の女友達を頼ってカリフォルニア州に出て来たラミレスは、翌1983年にロサンゼルスに移るまで彼女の家で過ごした。

彼女の娘婿の話によると、当時のラミレスは銃とナイフに強い興味を持ち、その話ばかりをしていたが、ロサンゼルスに移ってからはコカインに手を出し、悪魔崇拝に傾倒していたという。

ロサンゼルスでのラミレスは完全な根無し草で、バックパックに全財産を詰めて、どや街の安ホテルや簡易宿泊所を転々とし、お金がない時は路上や駐車中の車に潜り込むなど、ホームレス生活を送りながら窃盗を働いた。

この頃のラミレスは、ドラッグに溺れているだけでなく、コーラやカップケーキなどのジャンクフードを常食とし、また衛生観念もなかった為、非常に不潔で痩せ細っていた。


ロサンゼルスに移ったその年の内に、ラミレスは自動車窃盗で逮捕され、懲役5ヶ月の実刑判決を受け、翌年にもやはり自動車窃盗で逮捕され36日間服役した。


ラミレスの最初の殺人は1984年、ラミレスがロサンゼルス郡刑務所を釈放されて間もない頃だった。

ラミレスは、ロサンゼルス市イーグル・ロック地区のアパートの一室へ押し入り、そこの住人である79歳の女性をレイプした上、滅多切りにして殺害した。


1985年3月17日深夜、ロサンゼルス近郊のローズミードのアパートを物色していたラミレスは、ガレージに車を入れて自分の部屋に戻ろうとした女性を拳銃で撃った (弾丸は車のキーに当たり彼女は奇跡的に助かった) 。

そして、彼女の部屋へ押し入り、キッチンでルームメイトである34歳の女性会社員の頭部を撃ち抜いた。

その後、射殺したはずの女性と出くわしたラミレスは、命乞いする彼女を無視して立ち去った。


ラミレスは、ローズミードでの凶行から1時間もしないうちに、第3の殺人を犯した。

ノース・アルハンブラ・アヴェニューで次の獲物を漁っていたラミレスは、台湾出身のロー・スクール の30歳学生が運転するシヴォレーを止めさせ、彼女を引きずり出すと数発打ち込んだのだった。

救急車が呼ばれたものの、到着を待たずして彼女は息を引き取っている。


同年3月17日の凶行から10日後の3月27日、ロサンゼルス郊外のサン・ゲイブリエル・ヴァレーの中流住宅街でイタリアン・レストランのオーナーの64歳の男性と、その妻で44歳の女性弁護士が惨殺されているのを帰宅した息子が発見する。

直接の死因は射殺で、夫は書斎のソファで、妻は全裸で寝室のベッドでそれぞれ絶命していたが、とりわけ妻の遺体の損壊が激しく、生きたまま両目をえぐられていた。


ここでもラミレスは数多くの手がかりを残しており、これらの証拠から、捜査に当たったロサンゼルス郡保安官事務所は、新たな連続殺人犯が出現したのではないかと危惧し始めた (正直、かなり遅いような気がするが) 。

ただし、この時点では、3月17日の双方の犯行を最初の事件とみなしていた為、1984年の老婦人殺害を一連の連続殺人と関連付けるまでにはもう少しの時間が必要であった。


マスコミはこの連続殺人者に

『峡谷の侵入者』

という異名を与えた。


第4事件から約2ヶ月後の5月14日、ラミレスは女性大学院生が襲撃された現場から程近いモンテレー・パークの近くに住む老夫婦宅を襲撃。

66歳の日系アメリカ人男性を射殺したあと、現金や宝石類を奪った上、63歳の妻をレイプして逃走した。


それから2週間後の5月30日には、バーバンクの民家を襲撃。

12歳の息子をクローゼットに閉じ込めた上で、母親をレイプし、金品を奪って立ち去ったが、ここでもラミレスは警察を嘲笑うかのように素顔をさらして犯行に及んでいる。


モンロビア在住の83歳の元女性教師と、80歳の妹がラミレスの襲撃を受け、2日後の6月1日に瀕死の状態で発見される。

妹の方は一命を取りとめるが、元教師は6週間後に死亡した。

これまでの犯行と同様に、家の中は荒らされ、ここでもラミレスは凶器のハンマーなど大量の証拠を残しているが、そのなかでもとりわけ刑事たちに衝撃を与えたのは、元教師の太腿に口紅で悪魔のシンボルである逆五芒星が描かれていたことであった。

この五芒星は、妹の部屋の壁にも描かれていた。


モンロビア事件から1ヶ月近く経った6月27日、32歳の女性がアーケイディアの自宅で喉を掻き切られて死んでいるのが発見された。

この事件を皮切りに、ラミレスの狂乱ぶりはエスカレートし、ピークに達して行く。


既にこの頃になると『ロサンゼルス・ヘラルド・イグザミナー』紙の記者がこの連続殺人犯に

『ナイト・ストーカー』

という、よりインパクトのある新たな異名を与えた。


同年7月2日には、同じアーケイディアで75歳の老婦人が同様に喉を掻き切られて殺害されているのが発見される。


3日後の7月5日、やはりアーケイディア在住の16歳の少女が襲撃に遭い、バールで殴られた上レイプされたが、生命だけはとりとめている。


2日後、61歳の女性がモンテレー・パークの自宅で撲殺されているのが発見された。

さらに同じ夜、近所に住む63歳の看護婦が自宅で襲われ、レイプされた後、金品を奪われた。


2週間後の7月20日、この日の夜、ラミレスはそれまでにも増して異常な狂乱振りを発揮している。

一晩で、グレンデール在住のガソリンスタンド経営者夫婦を射殺。


その後サン・ヴァレー在住の32歳のアジア人男性宅を襲撃、男性を射殺、29歳の妻に悲鳴をあげないよう悪魔に誓わせた上でレイプした。

さらに8歳の息子もレイプし、3万ドルの現金と宝石類を奪って逃走。


同年8月8日には、サン・ゲイブリエル・ヴァレー在住のアジア人男性宅へ押し入り、35歳男性を殺害、その妻には殴り付け、悪魔に忠誠を誓わせた上でレイプしている。


同年8月17日には、ラミレスはサンフランシスコにまで足を伸ばし、会計士の中国系アメリカ人66歳男性を射殺、妻にも発砲したが、彼女は運よく生き延びることができた。

その後、口紅で壁に逆五芒星と
「匕首ジャック」
という言葉を書き残している。


最後の犯行は、8月24日にロサンゼルス南方のミッション・ヴィエホ在住のコンピュータ技師と婚約者の自宅でおこなわれた。

いつものように男性の頭を撃った後、女性をレイプしたラミレスは、婚約者に悪魔への忠誠を誓わせる儀式を強要させ、立ち去った。

男性は頭部に3発撃ち込まれたものの奇跡的に一命を取りとめた。


ラミレスの一連の凶行を、捜査に当たったロサンゼルス郡保安官事務所が正式に連続殺人事件と断定したのは1985年6月、最初の老婦人殺害から実に1年後のことだった。


ラミレスが犯行現場に大量の手がかりを残しておきながら、結果として警察の捜査の手を逃れていたのは、従来のプロファイリングが描き出す犯人像に当てはまらない為であった。

犯行方法が一貫せず、犠牲者の人種や年齢や性別にばらつきがあった。

このため、連続殺人の疑いが早くから持たれていたにもかかわらず、これらの事件を関連付けて捜査することに警察側が躊躇していたのだ。


その後、ロサンゼルス市警察本部も独自の捜査班を編成、最終的にラミレスが捜査班の網にかかったのは、8月24日の犯行の被害者を始め、多数の近隣住民がラミレスの運転する車を目撃しており、証言が完全に一致したこと、ラミレスの友人が警察に通報してきた特徴が『ナイト・ストーカー』のそれと一致したことだった。

そして、ラミレスが運転していたと思われる車が乗り捨てられているのが発見されると、警察は直ちに車を押収。


1985年8月31日、ラミレスはアリゾナ州フェニックスからロサンゼルスに戻ってきた。

コカインを手に入れるために数日ロサンゼルスを離れていたラミレスは、自分が指名手配されていることも知らず、意気揚々と街を闊歩していた。

やがて行き付けのコンビニエンスストアに入り、好物のドーナツとペプシコーラを買おうとレジに立ったところで、自分の顔写真がデカデカと載った地元紙の一面が目に飛び込んだ。

自分が殺人犯として指名手配されていることに気付きパニックに陥ったラミレスは店を飛び出し、3キロをわずか10分で走り抜けている。


その後、3度にわたって自動車を強奪しようとして失敗、追いつめられたラミレスはヒスパニック系住人が多く住む地区へ逃げ込んだ。

同胞に対する慈悲を期待してのことだったが、住民たちは逆に怒りを剥き出しにしてラミレスを追いたてた。

というのも、ただでさえお決まりの人種差別で腹立たしく思っているところにナイト・ストーカーの正体がヒスパニックの男だというので、非常に肩身の狭い思いをしていたのだ。

ナイト・ストーカーが自分たちの街に逃げ込んできたと聞いた住民たちは、それぞれ怒りに燃えながらラミレスを追いまわし、とうとうラミレスは身柄を押さえられるに至った。


通報を受けた保安官代理が現場へ駆けつけた時には、殺気立った住民らにリンチされる寸前だった。

ラミレス保安官代理が現場へ到着すると、ラミレスは

「天の助けだ。助けてくれ!俺だよ。あんたたちが捜している男は俺だ。こいつらに殺される前に俺を捕まえてくれ!」

と泣き付いたという。


逮捕されたラミレスは、半年の法廷審理と22日間に及ぶ陪審評議の結果、1989年9月、63件の訴因についてほとんどすべてが有罪と認定された。

13件の殺人中、12件が第1級殺人とされ、1件は第2級殺人と認定された。

さらに殺人未遂・婦女暴行・強盗など30の重罪についても有罪の評決が下され、死刑が言い渡された。


死刑判決後、サン・クエンティン州立刑務所の死刑囚監房に拘留されたが、ラミレスは24年もの間、上訴と再審請求を繰り返していた。


その間、1996年10月、グルーピーのひとりであった女性と獄中結婚。

刑務所内で結婚式を挙げた。


2013年6月7日、長年の薬物乱用による血液感染で発症したB細胞リンパ腫による合併症により死去、53歳だった。



∽ 総評 ∽

ロサンゼルスを恐怖のどん底に陥れたラミレス。

ラミレスのように悪魔主義に傾倒するシリアルキラーは多い。

ただ、ラミレスの場合は、悪魔主義のシリアルキラーにみられる「生け贄」による殺人を行っていない。

これは非常に珍しい。

また、ラミレスの特異な所は、殺害する相手にまるで共通点がないこと。

しかも、殺害方法も銃殺をメインとしているものの、ハンマーで撲殺したり、鋭利な物で惨殺したりと多種多様で、ほとんどこだわりを見せなかった。

レイプに関しても、60歳以上の女性が多いものの、10代の女の子や8歳の男の子など、年齢どころか性別にもこだわらない特殊な所をみせている。

その為プロファイリングが難航してしまったのである。

アメリカ史上最悪のレイプ殺人鬼テッド・バンディに至っては、髪を真ん中から分けた若い女性をターゲットに選び徹底していることに比べれば、その特異性が伺える。

ラミレスがこれほどの凶行に走った理由がよくわからない。

特に親から虐待されていたわけでもなく、また、裕福で何不自由なく育てられたわけでもなかった。

唯一可能性があるとするならば、親が厳格なカトリック教徒だったことだろう。

ラミレス以外にも、親が強烈な狂信者だった場合、ラミレスのような人間に育つ可能性も秘めている。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 13人
(他負傷者多数)
《犯行期間:1984年~1985年8月24日》