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ジェラルド・スタノ (アメリカ)
【 1951 ~ 1998 】



ジェラルド・ユージン・スタノは、1951年、アメリカ・フロリダ州で生まれた。

母親は売春婦で父親は不明だった。

私生児として生を受けたスタノは、 生まれてずっと母親に放置されたままだった。

心配した隣人達の通報を受け、スタノは保護される事になったのだが、担当者はその状況が「あまりに酷い動物レベルの状態」だった為、衝撃を受けた。

赤ん坊だったスタノは半年もの間、放置されていた。

食べ者もほとんど与えられなかった為、痩せこけて栄養失調になっており、何週間も風呂に入れられなかったので垢まみれで、汚れたままの服をまとい、オムツは大小便にまみれている状態だった。

スタノは便を玩具にして遊んでいるという、目を背けたくなるようなこれ以上ない状況だった。

その後、赤子はスタノ夫妻の養子となった。

父母となったスタノ夫妻は赤子の養育に最善を尽くしたが、ジェラルドと名付けられた赤子は、便で遊ぶのを一向に止めようとしない。

夫妻の愛情に対してまったく反応を示さず、魂を失ったかのように感情のない乳児だった (通常、物心がつく歳になってからの虐待ならば手遅れになっていることが多いが、まだ分別のつかない赤子にも関わらず、愛情には応えることはなく、スタノはすでに感情が欠落していた) 。

スタノは幼稚園で先生の言う事に集中出来ず、他の園児に噛み付いたり殴ったりと、乱暴な行為が目立った。

小学校に入っても問題児である事には変わりはなく、その為、クラスメイト全員に嫌われ友達は誰1人としていなかった。

また、スタノは9歳になるまでおねしょが治らなかった (夜尿症はシリアルキラーの幼少時の典型的な例とされる) 。

中学に進学すると太った体と度の強いメガネをからかわれ、いじめられるようになる。

IQは平均以上だったが、成績は音楽以外は最低だった (IQは高いが一部の認識能力が低いために成績全般が低迷するのはよくあることで、シリアルキラーにはこの手のタイプが多い) 。

高校生の頃にはスタノは養父の財布から現金を盗むようになった。

スタノは21歳でやっと高校を卒業するが、いつまでも定職に就こうとしなかった。

アパートを借りて一人暮らしを始めるが、他人の部屋から現金を盗んだのがバレてしまい、大家から退去を命じられる。

どんな仕事についてもいい加減で適当な勤務態度だった為、すぐクビになってしまった (これもシリアルキラーによくあるパターン) 。

その癖、スタノは異常なナルシストで、根拠もなくプライドだけは人一倍高かった。

車と音楽、ファッションにしか興味がなく、他人に自分の好きな物をけなされるとキレて暴れた。


そんな中、スタノは1973年に最初の殺人を犯す。

17歳の家出少女をナンパし、性交しようと迫ると抵抗される。

スタノはキレて散々殴る蹴るの暴行を加え、ナイフで切りつけた挙げ句、最後は絞殺した。

殺しの快感を覚えたスタノは、相手をいたぶりながら少しずつジワジワと殺す快感を追求し始める。

まずは首を絞め失神させ、気がつくとナイフで痛め付け、ぐったりするとレイプした。

そして、満足するまで性のオモチャにして弄んでから殺した。

このようにスタノは生粋のサディストだった。

殺害方法にもこだわりがなく、ナイフで切り刻むだけでなく、銃を使用したり、溺死させたりと、状況や場合によって使い分けた。

口淫させている女性の頭を撃ち抜いたり、殺した後に死姦したりと、スタノの犯行はだんだんエスカレートしていく。


結局、スタノは1973年から1980年の7年間、レイプ殺人を繰り返し、最後はスタノの魔の手から運よく逃げ出す事ができた被害者の通報により事件が発覚し、スタノは逮捕された。

逮捕されたスタノは、刑事の尋問に対して恐るべき連続殺人を自供した。
「スタノ、お前は73年から80年の間に一体何人の女を殺したんだ?」
と問い掛けるとスタノは、

「そうだな、年に4人から6人は殺したから、30人か40人は殺している事になるな」

と語り、信じられないという表情をしている刑事に対し、スタノはまだ発見されていない死体を埋めている場所に案内すると言い出した。

スタノと刑事達を乗せた数台のパトカーは、フロリダ空港近くの人の来ないような荒地に向かった。

そしてスタノの指示する場所を掘り起こしてみると、供述通り女性の腐乱死体が見つかった。

その後、スタノは34人の殺害を自供した。

その後の捜査で、スタノに殺害された22人の女性の身元が判明した。

当初は司法取引が行われ、3件の第二級殺人で懲役25年の3つ分、合計75年の刑が命じられた。

しかし、身元の判明した22人の殺人で次々に起訴され、その後3件の死刑判決を受ける事となり、フロリダ州立スターク刑務所の死刑囚監房に収監された。

尚、スタノはそこで自分と同じ連続強姦殺人鬼でかの有名なテッド・バンディと89年まで同じ監房であったという。


1988年、スタノは

「実は18歳の頃から殺人を始めている。その時の少女たちも含めれば41人の女を殺した事になる」

とカミングアウトした。

事実、スタノが18歳の頃に居住していた地域及びその周辺では、10代の少女が多数行方不明になっていた (20年前の件ということで、結局起訴は見送られたが) 。

バンディもそうだったが、最後は命が惜しくなったのか、スタノは更に42人目の殺害を告白し、

「死刑を延期するならこれらの遺体の発見に協力する」

と足掻いた。

これに対し、当時のフロリダ州知事は
「いや、もう結構だ。我々の望みは、一日でも早く被告が死刑になることだから」
と発言した。

結局、自白であるものの、スタノは生涯で42人もの女性を殺害した。

全員がレイプされ、拷問された末に殺された。


1998年、スタノには電気椅子による死刑が執行された。

享年48歳。


そんなスタノは自分の母親を憎んでいたのであろう、最後にスタノが残したこんな言葉で締めくくりたいと思います。

「体を売って稼いでいるような汚らしいメス豚どもは我慢ならない。全員殺すしかない」



∽ 総評 ∽

40人以上の女性を手にかけたスタノ。

「俺は女が死んでいくプロセスに興味がある」

「誰にでもペースというものがある。俺は出来るだけゆっくり殺すのが好きなんだ」

など、数々の名言を残したスタノは生粋のサディストであった。

女性をゆっくりとじわじわ殺していくことを好んだ生粋のサディストで、殺し方にこだわった典型的なシリアルキラーであった。

スタノを擁護するとすれば、母親が売春婦で、邪魔な存在として幼児の時に放置され捨てられた事だろう。

スタノのように幼少時に虐待や放任を受けると、脳の前頭葉の発達が遅れ、シリアルキラーになることがある。

ただ、スタノは赤ん坊の時に捨てられている為、さすがにその時の記憶はないだろうから、スタノは生粋の殺人鬼なのかもしれない。

養子として引き取られたスタノ夫妻の子供として、初めから生を受けていれば、スタノの人生も大きく変わっていたかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★★★☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 42人
(身元が判明したのは22人)
《犯行期間:1973年~1980年》